上山友裕選手との出会いは、2013年だった。

 JOCが主催するアスナビという現役トップアスリートをマッチングする就職支援活動だった。既に引退していた私はサポートする側で、上山選手は就職支援を受ける側だった。

 彼のバックグラウンドも知らず、素晴らしいパラアスリートだなと感じた。

 「パラリンピックに出たいです」

 初めて話したとき、とても明るい性格とアスリートには欠かせない「意欲的である」という印象だった。素直に応援したいなと、そう思わせる人柄だった。それから節目、節目で連絡をしてくれるようになった。

 アーチェリーとの出会いは、大学1年生の時だった。友人に連れられて始めたのがきっかけだ。さらに入部のきっかけは、美人の先輩だったという。

 上山選手は室内アーチェリーの学生選手権に出場した経験はあるが、アスリートとして頭角を現すような選手ではなかった。その当時はパラアスリートではなく、健常者として試合に出場していた。アーチェリーの楽しさを感じたものの、アスリートとしての楽しさは感じていなかったのではないか。

 「自分の障がいは、両下肢機能障害で原因不明なんです」

 2010年に同志社大を卒業後、一般企業に就職した。その年の冬に電車を乗ろうとしたら、足がついてこなかったという。何度も検査をしたが、わからないということだった。

 パラアーチェリーと出会ったのは、2011年。アーチェリー場の管理人からの勧めだったという。アーチェリーの経験もあったし、2013年には、日本一になった。

「日本一になったときより、世界と戦った時にアスリートとしての意識が変わった」

 アスナビで就職先は三菱電機に決まった。以前は練習量が世界の選手より、少ないことが、コンプレックスだったが、競技に集中できる環境が整った。

 「パラリンピックに出たいです」

 2013年、初めて出会った時の言葉を2016年のリオデジャネイロ・パラリンピック大会に出場、7位の入賞を果たした。そのリオデジャネイロ・パラリンピック後には「メダルが取れなかった」と連絡をくれた。

 いつまでも律義性格だ。さらに、アスリートとしては当たり前のメンタリティーだと思うが、彼の尽きない向上心には脱帽だ。その向上心は、パラリンピック出場、入賞を達成した今も変わらない。リオデジャネイロ・パラリンピックから1年。2017年9月、世界選手権が行われた。

 「今回の世界選手権は、リオデジャネイロパラリンピック後初めての大きな大会だったため自分の位置を確認する大会だった」

 結果は、個人17位。MIX(男女混合)9位、チーム9位だった。

 「自分のレベルも上がっているが、リオの時より、世界のレベルが全体的に底上げされている。東京大会は、上位16位の選手が混戦する可能性がある」

 上山選手はあくまでも東京パラリンピックを見据えている。彼のSNSのアカウントのコメントには、「東京2020で金メダルを取ります」と書かれている。また世界ランキング1桁が今一番の目標だ。さらに「パラのアーチェリー会場が満席になることが目標です」。全国で講演会をしたり、アーチェリーの普及へも熱心に活動している。

 そんなバイタリティーあふれる上山選手の尊敬するアスリートはイチロー選手だ。

 「やってみてダメだとわかったことと、はじめからダメだと言われたことは違います」

イチローのこの言葉が特に好きだという。この言葉に、彼の生き様が表れているような気がする。

 パラアーチェリーに出会って、アスリートとして生きる姿は、数々の人の心へ光を与えるだろう。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)