「柔道界の異端児」の人生を懸けた戦いが始まる-。平昌五輪が閉幕し、2年4カ月後には20年東京五輪が開幕する。柔道のグランドスラム(GS)パリ大会男子90キロ級覇者の向翔一郎(22=日大)は、改心して確かな一歩を踏み出した。

世界選手権の代表入りを目指す向翔一郎(撮影・峯岸佑樹)
世界選手権の代表入りを目指す向翔一郎(撮影・峯岸佑樹)

■トップ選手を“秒殺”

 22歳になった翌日の2月11日。向は初出場のGSパリ大会で「柔道勘」がさえ渡った。17年ワールドマスターズの覇者や15年世界王者らトップ選手が出場する中、得意の左背負い投げなどで全試合一本勝ち。決勝はわずか15秒で、1度も勝ったことがなかったグビニアシビリ(ジョージア)を“秒殺”した。足を引きずりながら畳を下りる相手に肩を貸す、優しさも見せた。

 「(リオデジャネイロ五輪同級金メダルの)ベイカー(茉秋)さんに勝って日本代表にならないと意味がない。東京五輪代表になるまで喜んでいられない」と前を向いた。

 豪快な一本柔道と同じぐらい「ビッグマウス」も魅力だ。富山・高岡第一高2年の時、金鷲旗大会の団体戦に出場。その時、優勝した千葉・東海大浦安高の大将が1学年上のベイカーだった。「まぶしくみえた」。それ以降、「打倒、ベイカー!!」を掲げた。17年世界選手権の最終選考を兼ねた同4月の全日本選抜体重別選手権(福岡国際センター)で初優勝。表彰式後には、金メダリストとの実力差があることを痛感し「優勝はしたけど、今の時点では追いついていない。柔道は負けるけどスタイルは負けない。流行の塩顔です」と発言した。芸人のような切れ味鋭いトークで会場を沸かせたが、代表選考は落選。悔しさを胸にしながらメイプル超合金のカズレーザーに似た愛嬌(あいきょう)のある笑顔と発言で「向らしさ」を貫いてきた。

■“出入り禁止”を宣告

 大きな転機があった。昨年8月下旬。帰省後の柔道部の集合日に遅刻した。全日本柔道連盟の強化委員長で日大男子監督の金野潤氏(50)から一喝され、日大柔道部の“出入り禁止”を宣告された。遅刻は1回だけでなく、過去にもあった。退寮して、急きょ、寮近くにアパートを借りた。日大の稽古には参加出来ないため、知人に事情を説明して警視庁や国士舘大などで出稽古をする日々が続いた。11月の講道館杯は制したが何かが違った。猛省して同下旬に金野氏へ「もう1度チャンスをください」と頭を下げ、受け入れてもらった。

 「1人になった時、仲間が必死に自分を守ってくれた。みんなに支えてもらいながら柔道をしているんだということが分かった。ありがたく感じた。今は練習させてもらっている感覚で、仲間と柔道ができることが本当にうれしい」

 稽古にも変化が出て、肉体改造に励んだ。2年前までは体重83キロで90キロ級に出場していたが「体重のハンディがある中、ムキムキのベイカーさんに勝てるはずがない」。体重と筋力アップのためのウエートトレーニングと食事改善を続け、体重は16キロ増の99キロまでになった。

グランドスラム・パリ大会で初優勝した向翔一郎(左)と影浦心
グランドスラム・パリ大会で初優勝した向翔一郎(左)と影浦心

■4月にベイカーと対決

 4月には世界選手権(バクー)の最終選考を兼ねた全日本選抜体重別選手権を控える。右肩の手術から実戦復帰したベイカーとの直接対決も注目だ。

 「これからが勝負。今年の世界選手権に選ばれなかったら東京五輪は厳しいと思う。人生を懸けるぐらいの気持ちで柔道に取り組んでいるし、今年こそベイカーさんに勝って、代表権を獲得する」

 力強くこう言い切った。

 4年間指導してきた金野氏も向の成長に「少し大人になったかな」と目を細める。「純粋で天真らんまんな性格は彼の良いところ。今後の柔道人生でもきっと生きるし、強みになるはず。大切な教え子の1人ですし、将来が楽しみです」と期待を寄せた。

 日大柔道部HPの選手紹介のページに向は「みんなから信頼をもつ柔道家」になりたいと記している。大学4年間で仲間に多少の迷惑はかけたかもしれないが「らしさ」を貫き、助けを借りながら愛され続けた。きっと、信頼は得たのではないかと思う。今では「ビッグマウス」と言われないぐらいの実力者となった柔道界の異端児。今春にはALSOKに入社し、新社会人としての生活も始まる。「らしさ」を貫き、大輪の花を咲かせてほしい。【峯岸佑樹】

 ◆峯岸佑樹(みねぎし・ゆうき)埼玉県出身。10年に入社し、文化社会部、営業開発部などを経て、現在はパラリンピックと柔道などを担当。