異色のオリンピアンが誕生した。日本のSC軽井沢クが1次リーグ5勝6敗の7位で男子20年ぶりの五輪出場を決めた。セカンド山口剛史(32)は、北海道南富良野町からラグビーやカヌーで世界を目指した経歴を持つ。だが最後は小中学校の同級生で五輪に出た目黒(現姓金村)萌絵さん、寺田桜子さんと子どものころ一緒にやったカーリングに戻った。廃校になった母校の同級生4人のうち3人目の五輪選手だ。

 1次リーグ最後の中国戦。山口は第2エンドに相手のストーン3個をはじき出す「トリプルテークアウト」をさく裂させた。2-9で敗れたが、五輪切符を獲得。「小学生の頃からの夢だった五輪出場が実現できてうれしい。もっとレベルアップしたい」と笑った。

 北海道の小さな集落で育った。既に廃校になった落合小・中学校は同級生4人で、五輪に出場した目黒さんたちが仲間。山口は富良野高2年で世界ジュニア選手権に出たが、カーリング一直線だったわけでない。「スポーツで世界と戦いたい」。高校ではラグビー部に入り、02年4月の全国高校選抜大会にフランカーで出場した。1回戦は五郎丸歩がいた佐賀工。0-146で負けた。「触ることもできなかった」。

 中学から冬はカーリング、夏はカヌーに励んだ。18歳の春にカヌーの強豪、駿河台大に進学した。大学1年で日本選手権に出場も順位は2ケタ台。同じ種目の3歳年下にリオ五輪銅の羽根田卓也がいた。「羽根田君とか高3で全日本で優勝して…。カヌーは間に合わない。カーリングの方が世界に近いかな」。そのころ「チーム青森」の男子チームに誘われ、青森大に編入。だがそのチームも約2年で活動休止となった。

 救いの手を差し伸べたのは、SC軽井沢クの長岡コーチだった。「攻撃的な戦術には目が良くてパワーがあるスイーパーが必要。運動能力が高い選手が欲しかった」。熱心なアプローチを受けた山口は「こりゃ世界にいけるぞ」と大学3年の05年に加入した。

 幼い頃に同級生の女の子と遊んだ記憶。最後は一番長く親しんだカーリングに戻って五輪をつかんだ。異色のオリンピアンが、男子20年ぶりの五輪に向かう。

 ◆山口剛史(やまぐち・つよし)1984年(昭59)11月21日、北海道南富良野町生まれ。落合小3年で競技を始める。同中学でカヌー、富良野高ではラグビーと二足のわらじ。大学2年でカーリングに専念し、05年にSC軽井沢クに加入。ポジションはセカンド。得意技は相手の石をはじくテークアウトと力強いスイープ。家族は妻七重さん(32)。174センチ、75キロ。

 ◆カーリング男子の平昌五輪出場枠 開催国の韓国を含めて10。昨年と今年の世界選手権の順位に応じた獲得ポイントの合計で7枠が決まり、12月の世界最終予選(チェコ)で残り2枠が決定。世界選手権のポイントは1位14点、2位12点、3位10点と続き、最下位の12位が1点。SC軽井沢クは昨年4位で9点、今年は7位で6点を獲得し、15点で総合成績で5位以内が決まった。