フィギュアスケートの情報を毎日発信しています。
今日のイベント
【大会】
全国高校選手権
▼会場
長野市ビッグハット
▼種目
女子予選(ショートプログラム、B組、午前10時5分~午後2時45分)※競技時間は全て予定
男子予選(ショートプログラム、午後3時~同8時15分)
今日の誕生日
オンドレイ・ネペラ(1951年)→Pick Up!
Pick Up! オンドレイ・ネペラ
日本でもよく知られる名選手の誕生日です。
生まれはチェコスロバキアのブラチスラバ。7歳でスケートを始めたそうです。64年インスブルック五輪には13歳で出場し22位。以降は男子シングルで一気に欧州のトップ選手へと駆け上がり、71年からは世界選手権3連覇。そして72年の札幌五輪。チェコスロバキアに初めての金メダルをもたらせました。
その後はドイツで生活をしましたが、89年にエイズによる合併症で亡くなりました。38歳という若さでした。
彼の功績をたたえたオンドレイ・ネペラ杯(現ネペラメモリアル)は、日本選手も数多く出場してきました。近年では紀平梨花(トヨタ自動車)がシニア1年目の18年に優勝。同シーズンのグランプリ(GP)ファイナル初優勝などにつなげました。
今日の1枚
日刊スポーツが蓄積してきた写真の中から厳選して紹介します。
20年12月26日、全日本フィギュアスケート選手権・男子フリーの演技を終えて「キス・アンド・クライ」でタオルを掲げる羽生結弦(代表撮影)。
今日の出来事
日本一の名コーチは「笑顔の鬼」。長野五輪に4選手を送り込んだ長久保裕コーチが東北高の壮行会に出席(1998年)
日本一の名コーチは「笑顔の鬼」だった。フィギュアスケート長野五輪代表に4選手を送り込んだ泉DLLアカデミーの長久保裕コーチ(51)が22日、選手らとともに仙台市で行われた東北高の壮行会に出席。選手育成法の秘密は、笑顔と怒った顔の使い分けにあると話した。アメで選手のやる気を促し、ムチで厳しさをたたき込む。たった一人で選手を育て上げた長久保コーチは、2つの顔を持っている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
教え子たちの晴れ舞台を前に、長久保コーチは笑顔を見せた。1972年の札幌大会にペアの代表として出場した長久保コーチにとっては2度目の五輪。それでも「指導者としては、初めての出場。選手と同じように緊張しますよ」。宮城県庁、仙台市内の特設会場、一日中、選手とともに走り回った。誇らしげに胸を張り、自分が育てた選手を頼もしげに見つめていた。
フィギュアスケート代表7人のうち、4人が現在の教え子。天野を含めれば指導した選手5人を長野に送り出すことになる。「五輪選手育成」は、すべての競技の指導者の夢。長久保コーチは一度にその夢を5つもかなえたことになる。成功の秘けつはアメとムチ。その使い分けの巧拙が、指導者としての分かれ目だ。「指導の秘密? 教えないことですかね」と笑った。
◆アメ(1)
指導理念は、決して教え過ぎないこと。長時間の練習で疲れたときは、翌日の練習を突然30分で切り上げることがある。そのまま教える22人を引き連れてゲームセンターに行く。選手はゲームで遊び、スケートを忘れる。と同時に「練習をやりたい」という気持ちになる。選手たちが積極的に練習に取り組めるように持っていく。
選手をほめることも忘れない。スケートを、練習を好きにさせるために、あらゆる手段を使う。自身、スケートが大好きだ。選手として、コーチとして、氷の上に乗ってきた。そんな気持ちを、選手に持ってほしいと思う。「実は、昔から楽しみがあったんです」。女子シングル代表の荒川はいたずらっぽく言った。
◆アメ(2)
長久保コーチのポケットには、無数の100円玉が入っている。練習終了後、目を輝かせた小中学生がそのお金を手にリンク隣のアイスクリームショップに駆け込む。ジャンプ1回成功で100円。子供たちはアイスのために頑張る。練習が好きになる。
「今回は若い力をのびのび思い切り出させてやりたい。次の五輪では自然と責任も重くなるからね」と話す。全員が初出場。それでも、緊張はない。スケートが好きだからだ。もちろん、甘いだけではない。ときにはムチも忘れない。その使い分けが微妙だ。
◆ムチ
荒川は小学3年のころ、リンクの建物をひと回り追いかけられたことがあった。長久保コーチの話を横を向いて聞いていたからだ。エース格の本田にも容赦ない。練習中に気の抜けた動きをすれば、小学生が見ている前だろうが叱る。
田村は、コーチの魅力を口にした。「あの顔が気になって、どうしても高校では長久保コーチに教えてもらいたかった。厳しそうだけど、本音では優しいところが好きです」。ときには鬼になるが、リンクを離れれば最高の笑顔。だから、選手たちもついていく。
「僕の言うことをすべて聞けば、5回転だってできる」と、自信たっぷりに話す。自らの手腕と選手の能力を信じている。「荒川の演技を見て泣きたいんですよ。まだ泣いたことないんです」。笑顔と怒った顔を使い分けるコーチの泣き顔を見ることが、選手たちの大舞台での励みになる。
◆話聞かない子を探す
長久保コーチが指導する泉DLLアカデミーには、現在小学生から高校生まで22人の選手がいる。いずれも、自分の目で見て選んだ選手。アカデミーで臨時に主催する幼児スケート教室が、将来磨けば光るダイヤの原石発掘の場となる。
素質のある子を探すために見るのは3点。(1)リンクの壁にへばりついていない子(2)いきなり氷の真ん中へと走り、格好も気にせずズデーンと転ぶ子(3)コーチの話を全く聞かない子、だという。そういう子を集めて育ててきた。
「自分をしっかりと持っている跳ね返りの子の方が、将来楽しみ。荒川なんて、手に負えなかったですよ」と笑う。そんな子をアメでやる気にさせ、ムチで厳しく鍛える。それが、長久保流の育成法だ。今回の代表は4人。子供たちは、その4人を目標に練習に励む。長久保コーチの忙しさは、当分続きそうだ。
◆長野五輪フィギュア代表◆
〈男子シングル〉
◎本田武史(東北高)(16)165センチ、57キロ
◎田村岳斗(東北高)(18)172センチ、62キロ
〈女子シングル〉
◎荒川静香(東北高)(16)164センチ、52キロ
〈ペア〉
◎荒井万里絵(東北高)(16)154センチ、45キロ
〇天野真(明光商会)(24)174センチ、62キロ
〈アイスダンス〉
河合彩(新横浜プリンスク)(22)165センチ、51キロ
田中衆史(新横浜プリンスク)(25)180センチ、75キロ
【注】選手名の前の◎は現在長久保コーチ指導。〇は過去の教え子
★長久保裕(ながくぼ・ひろし)
◆生まれ 1946年(昭21)12月14日、山梨生まれ。家族は妻みささん(43)長女カンナさん(18)長男裕介さん(15)次女知里さん(10)。
◆選手時代 日大時代は午後10時に練習を終え、リンク使用料を稼ぐため、地下鉄工事のアルバイトを朝まで。その足で午前6時にはリンクへ。大学の講義中が睡眠時間だった。
◆札幌五輪 山梨・甲府一高時代のインターハイ、国体に2回ずつ出場。日大1年で全日本ジュニアシングル優勝。3年でシングルからペアへ。72年札幌五輪では長沢琴江と組み16位。
◆10年の単身赴任 引退後は千葉・新松戸で指導者になる。88年から仙台市のスケートクラブ「泉DLLアカデミー」で教え始める。以来10年、妻と子供3人と離れた生活が続く。自宅に戻るのは盆と正月だけ。
◆自称スケートばか 将来は南米選手を指導する夢を持つ。「南米やアフリカの選手を育ててみたい。身体能力が高いから、すぐ世界一にさせられる」。フィギュアへのあくなき挑戦は永遠に続く。