フィギュアスケート男子で冬季オリンピック(五輪)2連覇の羽生結弦(26=ANA)が22日、日本テレビ系「24時間テレビ44」に出演し、発生から10年が経過した東日本大震災の被災地へ特別アイスショーを届けた。

◆羽生の震災から10年◆

11年3月11日、東日本大震災発生。

アイスリンク仙台で練習中に被災。スケート靴が脱げず、リンクにひざをついてはって逃げた。4日間は家族4人で避難所暮らし。「生活だけで精いっぱいなのに何でスケート…。やめようかな…」と迷いも。

1年後 12年3月、世界選手権で3位。震災後は全国を転々、60以上ものショーが練習代わりに。500通のファンレターに返事を書いた。「僕が、本当は支えられていたんだな」。

2年後 13年3月、世界選手権で滞在したカナダで日本時間に合わせた午前1時46分から、日本の方角を向いて黙とう。「世界選手権という大きな日に(11日を)迎えられたのはすごくうれしい。少しでも震災について思い出すきっかけになってもらえれば」。

3年後 4年目を迎える前月、14年2月のソチ五輪で金。エキシビションでは復興を願った「白鳥の湖」を披露。「メダリストになれたからこそ、震災復興のためにできることを。ここからがスタート」。

4年後 15年6月に、福島第1原発事故の影響が大きい福島県いわき市、広野町を訪れ、津波被災地域なども回る。

5年後 16年1月、盛岡市内で復興を祈願するショーに出演。「少しでも東北のためになれることをうれしく思う。この地で一生懸命、頑張りたい」。

6年後 17年8月、震災後の練習拠点の1つだった横浜銀行アイスアリーナで「花になれ」を舞う。「このリンクを借りて僕は何とかスケートを続けることができました。皆さんが幸せになれるよう滑った」。

7年後 18年2月のピョンチャン・オリンピック(平昌五輪)で2連覇。「本当に大変な日々だった。僕は内陸部の人間だったし、実際に地震の被害にしか遭っていない。何て言っていいかいまだに分からない。ただ一つ言えることは、僕が一番大切にしている大会でまた金メダルを取れたこと。それは誇りに思う。何よりも自分が金メダルを持って被災地の方々にあいさつしに行った時にたくさんの笑顔が見れたので、今度はちょっとは自信を持って、皆さんにまた笑顔になってもらえたらいいな」。

8年後 19年3月11日、ヤフー主催の復興慈善オークションに4年連続で出品。愛用スケート靴が約712万円で落札された。全額寄付。「まだまだ復興途中の地域が多い。私もお役に立ちたいと思い、今年も出品します」。

9年後 20年3月、世界選手権が中止。4月、JOCの公式ツイッターに登場。「真っ暗闇なトンネルの中で希望の光を見いだすことは難しいと思います。でも『3・11』の時の夜空のように、真っ暗だからこそ見える光があると信じています」。5月には日本スケート連盟のツイッターで、震災後に滑ってきたプログラムを計311秒かけて披露した。21年3月11日を前にアイスリンク仙台に211万6270円を寄付、10年間で総額3144万2143円に。

21年8月22日 日本テレビ系「24時間テレビ」に出演。震災10年に思いを寄せる特別アイスショーを披露。