東京オリンピック(五輪)・パラリンピックが終わって3カ月余り。記者として批判を恐れず、取り繕わず、本音を言うと「やはり無観客の五輪は物足りなかった」。五輪関係者のみならず、国民の多くは有観客での東京大会を見たかったろう。もちろん新型コロナウイルスがなければだが。近代五輪125年の歴史で初めて延期を経験し、かつ史上初の無観客を選択せざるを得なかった「TOKYO2020」。裏側を追った日々を、記者の生態を交えながら振り返る。

東京五輪・パラリンピック組織委員会が拠点を置いた東京・中央区の晴海トリトンスクエア
東京五輪・パラリンピック組織委員会が拠点を置いた東京・中央区の晴海トリトンスクエア

東京のウオーターフロントに位置する中央区晴海。タワーマンションが乱立する中にひときわ目立つ、3棟からなる大型オフィスビル「晴海トリトンスクエア」がある。東京五輪・パラリンピック組織委員会はその3棟に散らばり、大きな拠点を構えていた。


19年4月、港区の虎ノ門ヒルズからオフィスを移転してからは、晴海トリトンの様子も一変した。2階のグランドロビーには、特ダネ欲しさの「夜回り記者」が目を光らせ幹部の帰宅を待っていた。休日を除いてほぼ毎日。一般企業も多く入るビルだけにその社員から、けげんそうに見られることも少なくなかった。


21年1月。厳しい冬でも記者という種族は張り込みをする。実はデスクワークより立ち続ける時間の方が多いのだ。後輩記者が薄着で現場に現れた時、「張り込み取材をする気がないんだな…」と、嫌みを言ったこともある。


そうでもしないと特ダネは取れない。半世紀ぶりの東京五輪には各社エース級の猛者たちが担当に就いた。皆、日々の張り込みだけでなく、組織委以外のさまざまな場所を回って情報を集めていた。


まだ正月気分が抜けない頃、帰路をともにした、ある幹部がつぶやいた。


「海外観客はどうなるのかね」


水際対策にも深く関わるため政府が検討中だった案件。ただ、早くても方針が固まるのは3月初め頃と見立てていた私は、この件に本気度を増していなかった。幹部に「どうなるんですか?」と聞いた。


「私は分からないよ。それを調べるのが記者の仕事じゃないか?」


こう返答された時、なぜか心臓の鼓動が早まった。もしかしたら思った以上に方針が早く固まるのかもしれない。そのサインではないかと勝手に受け止めた。

2021年4月28日の5者協議終了後、取材に応じる丸川珠代五輪相(撮影・近藤由美子)
2021年4月28日の5者協議終了後、取材に応じる丸川珠代五輪相(撮影・近藤由美子)

取材を進めようと千代田区永田町にある内閣官房に足を運んだ。当たり前だが皆、なかなか口を割らない。東京メトロ国会議事堂前駅の構内まで追いかけたり、何人もの関係者にコツコツ話を聞くうちに、内容に一定の方向性があることに気がつく。


「五輪は開催したい→国民の不安解消が必要→海外と国内客の共倒れは避けたい」


これらを元にしかるべき複数の人物に取材をかけると、新たな事実が浮上する。「海外と国内観客の決定を2段階に分ける案がある」というもの。それまでの政府発表では「観客は今春に決める」という表現のみ。「サイン」と受け止めたことは間違っていなかった。


さらに取材を進め、日刊スポーツは1月28日付紙面で「五輪 国内観客限定案 政府内で浮上」という記事を出す。取材から共通して分かったことは「何とか五輪開催にこぎ着けたい。そのためには迅速に、大きなリスクから解消していかなければ手遅れになる」と思っている官僚や組織委職員が多くいた。私が取材したのは政府や組織委内の悲痛な叫びだったのかもしれない。


結果的に海外と国内観客にかかる決定は2段階で行われ、海外観客の受け入れ断念は比較的スムーズに、3月20日に行われた国際オリンピック委員会(IOC)などとの5者協議で正式決定した。しかし、国内観客については対照的に混迷を極めることになる。

東京五輪ソフトボール 無観客で行われたオープニングゲームのオーストラリア-日本戦(撮影・鈴木みどり)=2021年7月21日
東京五輪ソフトボール 無観客で行われたオープニングゲームのオーストラリア-日本戦(撮影・鈴木みどり)=2021年7月21日

組織委幹部の冗談交じりの一言「延ばしてくれないかな・・・」/(残り1588文字)

5月のゴールデンウイーク明け。組織委の橋本聖子会長が「国内観客は4月中に決めたい」と言っていたにもかかわらず、4月28日の5者協議で「観客上限の決定は6月中」と先送りされていた。しかし、国内はコロナ第4波のピーク。政府系の組織委幹部からは焦る声が聞こえてきた。


「無観客はやむを得ない。早く決めないと、もう国民の意見が持たない。開催できなくなったら大変だ」


その時期、報道各社の世論調査は五輪関係者にとって最悪だった。「中止、再延期すべき」が80%を超える社もあったほどだ。


一方で組織委の武藤敏郎事務総長は中立な立場で状況を見極めていた。開催都市、東京都が有観客を諦めていなかったからだ。都は立候補から多額の税金を投入し準備してきた。無観客となれば900億円のチケット収入も消滅。税金を負った都民の観戦すらできず、大会後のレガシーにも多大な影響を与えかねない。私が都幹部に「無観客が色濃くなってきましたね」と問うと「何言ってんの! そんなのまだ分からないでしょ」と、しかられた。


それでも日刊スポーツは5月12日付の紙面で「組織委 無観客やむなし」と報じた。決定事項ではなかったが、一般市民からは実態が見えない組織委の内部が今、何をどう考えているかを読者に伝えたかった。

東京五輪テニス女子シングルス1回戦 無観客のセンターコートで初戦に臨んだ大坂なおみ(後方)=2021年7月25日
東京五輪テニス女子シングルス1回戦 無観客のセンターコートで初戦に臨んだ大坂なおみ(後方)=2021年7月25日

同じ頃、組織委の別の幹部は観客上限が延々と決まらないことに腹を立てていた。


「チケット部門としては、いいかげんにして欲しいよ。待つにも限界がある。こちらからデッドラインを示しているのに一向に我々に情報が降りてこない」。


帰路についた晴海トリトンから月島駅への道すがら、たまらず愚痴をこぼした。無理もない。満席を想定し販売したチケット。コロナ対策として、もし観客上限が収容人数の50%と決定すれば、チケット保有者の中でさらに再抽選しなければならなかった。


外注先が請け負う再抽選システムだが、五輪のみで約448万枚も売っていただけに、大会が近づくほど事態は深刻になる。デッドラインを上級幹部に進言しても、さらにその上の政治レベルで観客上限の決定が先送りされ、現場は煮えくりかえっていた。記者としては、もんじゃ焼きにでも誘ってじっくり話を聞き、特ダネにつなげたいところだがコロナ禍でそうはいかない。


緊急事態宣言の延長により6月に入ると感染が収まりつつあった。すると関係団体の幹部には「観客を入れられるのでは」との欲が再燃。ある組織委幹部は本音を漏らした。

「総理には五輪開幕まで緊急事態宣言を延ばしてくれないかな。新規感染者を抑えられ、有観客にできるだろう」

東京五輪陸上男子棒高跳び 無観客のスタンドにあいさつする選手(撮影・江口和貴)=2021年8月3日
東京五輪陸上男子棒高跳び 無観客のスタンドにあいさつする選手(撮影・江口和貴)=2021年8月3日

私は思った。「五輪関係者にとってはいいが、飲食店にはたまったものじゃないな」と。しかし、その思惑とは裏腹に菅義偉首相(当時)は同20日から東京の措置を、まん延防止等重点措置に切り替える。同時に5者協議は「収容定員50%以内で1万人」を国内の観客上限とすることを決めた。


これが無観客への引き金となる。宣言を解除したことで感染者は再拡大。菅政権はわずか3週間で再宣言を出さざるを得ない状況となった。


開幕までわずか2週間。有観客の夢は絶たれた。7月8日、5者協議が史上初の無観客五輪を決定。「6月20日に宣言を解除していなければね…」。ある組織委幹部は冗談交じりに言った。たらればを言えばきりがないが、延期もあり、招致決定から約8年間準備した57年ぶりの東京五輪が無観客となる。悔しさで愚痴ぐらい言いたくなる気持ちも、よく分かった。


無観客決定から18日後、私は渋谷区千駄ケ谷にある東京体育館にいた。担当する卓球競技。混合ダブルスで水谷隼と伊藤美誠が世界王者の中国ペアをフルゲームの末に下した。日本卓球界にとって悲願の初金メダル。ものすごい偉業だ。水谷と伊藤が抱き合う。だが、歓声がない。2階の記者席からその光景を見て思った。コロナが憎らしい。2人の英雄に、祝福の大歓声を届けてあげたかった。【三須一紀】

東京五輪卓球混合ダブルス決勝 優勝を決めて歓喜の抱擁をする水谷隼(右)と伊藤美誠=2021年7月26日
東京五輪卓球混合ダブルス決勝 優勝を決めて歓喜の抱擁をする水谷隼(右)と伊藤美誠=2021年7月26日