横浜は5日、横浜市内の球団事務所で、前ヤクルト監督の高田繁氏(66)のゼネラルマネジャー(GM)就任を発表した。就任会見の席で高田氏は、初代監督として就任要請した前西武の工藤公康投手(48)との交渉を断念したと公表。GMと監督として信頼関係が築けなかったことが理由と説明した。

 GM就任会見の開始時刻10分前に球団事務所に到着した高田氏は、会見で新監督について質問が及ぶと、努めて冷静に答えた。「今までいろいろと話してきたが、ひと言で言えば監督とGMの信頼関係がどうしても築けなかった。この時点で交渉を断念しました」。初代監督候補として一本化していた工藤との交渉決裂発表。新生ベイスターズの方向性が示されるはずの会見が、まさかの展開となった。

 1日の臨時実行委員会とオーナー会議で、球界参入が承認されてからわずか4日。春田オーナーは2日に高田氏にGMを、工藤に監督を正式要請したことを明かしていた。工藤も前日4日に「お話を聞いている以上、前向きに考えるスタンスは変わっていない」と前向きな姿勢を示し、大安の7日にも発表されるとみられていた。

 だが、事態は急転した。断念の理由について高田氏は「これでと言うことじゃない。1つ1つ取り上げたら、彼に申し訳ない」と話すにとどめたが、編成上でずれがあったことを認めた。工藤は就任の前提としてトレーナー部門の強化や投手コーチの人選を要望したが、考え方などに隔たりがあったとみられる。最後まで妥協点が見つからなかったことから、就任会見が行われる前の午前中に池田球団社長を交えて工藤本人と3者で会談し、直接交渉の打ち切りを伝達した。

 工藤に一本化したのは自らだと明かした高田氏は「監督とGMは一枚岩で一心同体。スタートの時点で違うなと思うのは失礼なこと」とし、「信頼関係が築けなかったのは、私にも責任がある」と“破談”の責任を認めた。編成改革の最大の策として初のGM体制を敷いた新生ベイスターズは、大波乱の船出となった。【佐竹実】

 ◆高田繁(たかだ・しげる)1945年(昭20)7月24日、鹿児島県生まれ。大阪・浪商1年で夏の甲子園優勝。明大を経て67年ドラフト1位で巨人入団。68年新人王、日本シリーズMVP。71年盗塁王。外野で4度、三塁で2度ゴールデングラブ賞を獲得。80年に現役引退。85年に日本ハム監督に就任し、4年間でAクラス2度。92年巨人ヘッドコーチ、96、97年同外野守備走塁コーチ、98~01年同2軍監督。04年10月に日本ハム初代GMに就任。08~10年途中までヤクルト監督。現役時代の通算成績は1512試合で打率2割7分3厘、139本塁打、499打点。家族は妻と2男1女。