アルペンスキーの皆川賢太郎(36=ドーム)が19日、今季限りでの現役引退を表明した。98年長野五輪から4大会連続で冬季五輪に出場。06年トリノ五輪の回転で4位に入り、アルペン種目の日本勢で50年ぶりの入賞を果たすなど日本男子の中軸として長く活躍した。この日、スイスのウェンゲンで行われたW杯回転第5戦で1回目に途中棄権し、ソチ五輪出場に必要な基準を満たせず「これが最後のレースになると思う」と明かした。

 時代の申し子だった。98年長野五輪後に、トップレーサーの間で急速に広まったカービングスキーを自在に操った。スキーをずらさずにたわませてターンするコンパクトな滑りで時代の旗頭となった。22歳の時にW杯で初の1桁順位となる6位に入り、28歳で臨んだトリノ五輪で4位。56年コルティナダンペッツォ五輪で猪谷千春が2位に入って以来、海和俊宏、岡部哲也、木村公宣と、歴代のエースたちが届かなかった五輪での入賞を半世紀ぶりに遂げた。09年6月にはフリースタイル女子モーグルの上村愛子(北野建設)と結婚し、10年バンクーバー五輪は夫婦で出場した。

 全日本スキー連盟の古川年正競技本部長は「W杯と違って4年に1度しかない大会でメダルに近づいた。日本人でもメダルを取れる可能性があると初めて実感させてくれた。その功績は非常に大きい」とたたえた。皆川は「自分としては良くやったと思う。この年齢で可能な限りの頑張りはできた。年を取れば成長するけど、人間の資質と選手としての能力の接点がちょうど良く交わったのがトリノ五輪だと思う」と振り返った。

 ◆皆川賢太郎(みながわ・けんたろう)1977年(昭52)5月17日、新潟県湯沢町生まれ。北海道・北照高時代に日本代表入り。日体大に進学後、98年長野大会で五輪初出場。97年から転戦したW杯の最高位は06年ウェンゲン大会の4位。08年に亡くなった父賢治さん(享年60)は元競輪選手。09年6月にフリースタイルスキー女子モーグルの上村愛子と結婚。173センチ、85キロ。