オリックス宮内義彦オーナー(83)の登場です。1988年(昭63)に阪急ブレーブスを買収して以来、95年のリーグ優勝、96年の日本一、04年の近鉄との球団合併など「平成野球史」に欠かせない名物オーナーです。

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「がんばろうKOBE」-。オリックスが歓喜に包まれたのは、1995年(平7)9月19日、西武球場だった。阪急ブレーブス買収以来、7シーズン目のリーグ優勝。監督の仰木彬が5度宙に舞った。

オーナーの宮内は、インドネシア出張で、その瞬間に立ち会えなかったが、パ・リーグの雄である西武の6連覇を阻止して、圧倒的な強さを見せつけた。

宮内 今に比べて、あの頃は良かったなと思いますよ(笑い)。(優勝は)3つの要素があったと思うんです。1つは、我々が買収した阪急ブレーブスが強いチームを築いていた、それを引き継いだ。2つ目は仰木さんですね。この力は大きかった。歴史に残るすごい監督だと思いますね。3つ目は阪神・淡路大震災の火事場のばか力みたいなものがあって、それらがうまく重なって、本当に強いチームができたんですね。

1月17日、関西はマグニチュード7・3の阪神・淡路大震災に見舞われた。地元神戸は、球団が被害にあって、選手、職員らの自宅も倒壊した。グリーンスタジアム神戸と三ノ宮を結ぶ地下鉄も寸断。プロ野球開催は困難な状況に陥った。

「東京にいて、故郷の惨状を見ながら、何もできなかった」という宮内だったが「こんなときに神戸を逃げ出してどうするんだ」と、地元での開幕にこぎつける。

バブル崩壊直後の日本経済は低成長期だった。しかし、被災球団は「がんばろうKOBE」のスローガンをユニホームの右袖に縫いつけ、復興のシンボル、希望の灯となって戦い抜いたのだ。

打はイチロー、田口ら若手に、福良、藤井らベテランがかみ合った。先発は佐藤、星野、野田ら。リリーフも平井、鈴木らがフル回転。多彩な戦力を操ったのは、宮内と同じ年の仰木彬だった。

宮内 仰木さんに「あなたは本当に大したもんだ」という話をすると「オーナーね、監督なんて、なんにもすることないんですよ。試合前にメンバー表を相手に渡したら終わりなんです」という。本人は本当にそう思っていたかもしれない。選手1人1人に求めるのは自己責任です。二日酔いでもいい、ヒットを打ってくれたらいいんだと。自己責任とは、選手にとってものすごく怖いわけですよ。だから飲んだくれてはおれんと、やっぱり練習する…という、体育会系とはちょっと違うんですな。

翌96年もリーグ優勝、日本シリーズでは巨人に4勝1敗で、頂点に立った。

宮内 仰木さんの組織の束ね方は、非常にレベルが高い。叱咤(しった)激励より、ほめて伸ばすところがありましたね。早くに亡くなられたのが残念でなりません。(敬称略=つづく)【寺尾博和】