奈良大付が春夏通じて初の甲子園勝利を挙げた。植垣裕(ゆたか)外野手(3年)、東郷佑太外野手(3年)の2、3番コンビがそろって3安打の活躍を見せた。2人の下宿先で母親代わりを務めてくれた合田美子さんが、昨年6月に他界。天国のおばちゃんにささげる1勝となった。

 出場校トップのチーム打率、4割5分8厘を誇る奈良大付が、夏初出場で初勝利を飾った。立役者は植垣、東郷の2、3番。下宿先の「おばちゃん」にささげるダブル猛打賞と暴れた。

 初回無死二塁で、植垣はバント狙いの構えをした。映像などで研究し、相手三塁手の送球がやや不安定なのを頭に入れていた。三塁線に転がした。三塁手の一塁送球がそれ、その間に先制点を奪った。「自分みたいな小さな選手でも、レギュラーを取れる」と小技を練習してきた努力が実を結んだ。

 植垣の帽子のつばには「ロジング魂」と記されている。下宿先のロッジングハウス(下宿を目的とした家)から取ったものだ。2人を含む野球部員7人が下宿していて、母親代わりの管理人、合田美子さんが切り盛りしていた。下宿生の東郷は「おばちゃんが相談に乗ってくれたり、練習が夜遅くても、寝ないで待っていてくれた」と優しく世話をしてもらったことを振り返った。東郷が野球で悩んでいた時に「しんどかったらやめてもええんやで」と声をかけられた。この言葉に東郷は「おばちゃんにそんなこと言われるようなら、あかん」と発奮。野球を続ける力になった。

 高齢の美子さんは昨年の6月、病で帰らぬ人になった。「君たちの代が来たら甲子園に行ってほしい。甲子園でプレーしているところを見たい」と言われていた。奈良大会で優勝し、甲子園初出場を決めたときには下宿先の仏壇の前に座り「甲子園でも見守ってください」と手を合わせた。

 「おばちゃんが天国で見てくれていると思ってプレーしました。勝利につながってうれしい」と植垣。約束を果たし、甲子園で勝った。大会期間中は下宿先に戻ることはできないが「帰ったら良い報告ができます」と心待ちにする。下宿生の中でレギュラーは植垣、東郷の2人だけ。より良い報告ができるように。次戦もコンビが、夏空に快音を響かせる。【鶴屋健太】