7月の地方大会から、11月上旬の秋季大会まで、高校野球は一気に熱い季節を走り抜けた。秋風が吹き抜け、初冬の冷気に触れ、ずっと気になっていた球児の顔が浮かんだ。
日大三高(以下三高)の山端大輝内野手(3年)は入部当初から知っていたが、向き合って話すのは9月下旬が初めてだった。
2023年4月1日、新入部員の山端は東京・町田の三高野球部のグラウンドに立っていた。三木新監督と、新主将になったばかりの二宮士(現立正大2年)が見守る中、自己紹介では決意を8文字に込めた。
「死ぬ気でやります」
三高野球部で、山端の技量は走攻守において力不足だった。
山端 実力差は見えていました。でも、三高で野球がしたくて入学しました。どんなに差があっても、絶対に3年間やり抜くんだと強い覚悟で入部しました。死ぬ気でやりますは、とっさに出ました。
「甲子園を目指します」「チームの勝利に貢献したいです」「野球がうまくなりたいです」、そうしたあいさつが並ぶ。山端の「死ぬ気で…」は異彩を放った。
練習後、三木監督は取材に応じた際、山端のあいさつに触れた。「死ぬ気でやりますって、驚きました。この令和の時代に…、そういう気迫というか、覚悟は伝わってきました。3年間、必死にやってほしいです」。
こうして文字にするのは心苦しいのだが、山端の技術は確かに、他の選手と比べると厳しいものがあった。ベースランニングも、その懸命さとは裏腹に、スピード感は足りず、打撃練習では打球がケージからあまり出ないこともあった。
188センチ、114キロの体格で、いつも汗にまみれた顔で、必死に仲間の後を追う。気持ちを切らさず食らいつく。
その姿を、入部のあいさつに聞き入っていた主将二宮は見ていた。「死ぬ気でやりますって、そのあいさつ聞いて、素直に『かっこいいな』と思いました。練習は必死にやっているのがよく分かりました。だから3年も、山端のノックの番では『行けるぞ』とか『自信持て』とか『(ノッカーの)三木さんに向かって、もっと呼べ! 呼べ!』とか、そういう声をかけていたのを覚えています」。
掛け値なしに真剣で、技量で劣る自分を認め、練習する山端を、上級生も同級生も同じ目線で接し、一緒に競った。野球の優劣で軽く見る空気はなかった。
二宮 僕らの代はそういうものはなかったです。一生懸命にやっている仲間をからかったり、バカにする、そんな雰囲気はなかったです。
上級生も同級生も同様に接したが、山端のもどかしさはそれで解消されるほど単純ではなかった。やや表情を崩しながら、つらかった心境を話してくれた。
山端 ノックになると、みんなきっちりプレーするのに、自分だけ捕れずに、3球もノックを打ってもらうこともありました。自分の中で、これなら自分に打ってくれるノックを、他の選手が受けた方がいいと。自分に打ってもらうのは時間の無駄ではないかと、そう思うようになって…。それを、(同級生の)本間や松岡に打ち明けたこともあります。
レベルの高さに悩む現実、ということになるが、山端が直面したものはすなわち、強豪校に飛び込んだ者だけが味わう自身へのふがいなさ、その核心に迫る心情ではないか。「一生懸命にやればいい」であるとか「それもいい経験」などの言葉では到底カバーしきれない。
その苦しさを乗り越えるのは、山端自身でしかない。そして、そこに親身になって聴ける仲間がいるか、いないか。そこが三高野球部の底流にある風土と言える。
山端 僕がぶつけた言葉への本間の答えは「仲間なんだから、そんなことは気にすることじゃない。誰も山端のことをそんな風に思っていない」でした。松岡も同じことを言ってくれました。死ぬ気でやるって言った以上、何が何でもやり抜く気持ちでしたが、仲間の支えがあって、こうして3年夏までやれたと思います。
高校野球を振り返り、心に残った場面はいくつもある。その中で、うれしそうにひとつの情景を教えてくれた。
山端 あの…、とくに白窪さん(白窪秀史助監督)がよく声をかけてくれて、いつもいじってくれました。それがうれしかったです。ノックの時なんですけど…、自分は一塁手の3番手くらいで受けるんですが、それまではそれぞれの正面の打球なんですが、自分の時だけ、思いっきりセカンド寄りの打球なんです。それも、飛び込んでも届かないくらいで。それで、パッと白窪さんを見ると、にこにこしてて…、ショートでは松岡も笑顔で声を出していて。自分は「ああ、いつものやつだ」って思いながら、ちょっとだけ笑って、あっ、でもふざけてじゃないです。白窪さんのノックは、お決まりの感じがして、これで活気が出ればいいかなって、そう思ってました。
三高で高校野球をやり抜いた今、山端の顔はいっそう穏やかになる。
山端 1年の時に思いました。誰も威張っていなかったです。それで主将の二宮さんがいつも話しかけてくれて。2年生の土井さん(現日大1年)が『一生懸命頑張ってんな』って言ってくれて。最初は先輩に何かされるのかな? って身構えていた時もあったんですが、そんなことはまったくなかったです。
山端は3年になり、今度は下級生との関連性も気になるが、何の迷いもなく笑いながら話してくれた。
山端 僕のことはなめてますよ。普通は新入生は無口で始まるんですけど、すぐに自分にちょっかい出してきて。それで、練習でも『山端さん、しっかり、しっかり』って言ってきますからね。
と言いつつ、こうも付け加えた。
山端 怖い先輩は必要ないです。気楽に話せる先輩でいいと思います。
3年の早春、山端はAチームの練習試合で打席に入っている。三木監督はその時を振り返り「打席に立たせるなら、このタイミングしかないと思いました。その山端ですか? 打席に入る時、うれしそうな顔をしてましたよ」
山端にとって、もっとも肝心な部分だが、当の本人は恥ずかしそうに打ち明けてくれた。
山端 自分にとっては貴重な打席です。捨て身でした。やってやるぞって思いで打席に入ったのは覚えていますが、打球はどこに飛んだのか…、すいません。ちょっとそこは…
まさかの覚えていないという顛末には、笑いそうになったが、それだけ無我夢中だったんだと、心中を察した。
ただ、打席に入る間際、仲間からのエールははっきり覚えていた。そこは自信満々に言った。「『初球から振っていけ』『ホームラン打て』って声が聞こえました!」
急に、その場面が目に浮かぶような錯覚に襲われた。そして、ああ、この目で見たかったなと。せっかく三高の取材を重ねて、そこを見ずに、いったい何を見るんだと。表面しか追えない記者の未熟さに、ため息が出た。
今夏、山端は西東京の決勝の神宮球場で、そして沖縄尚学と雌雄を決した決勝の甲子園で、応援団を率い、巨大メガホンで叫び続けた。1年春から、そうしてきた山端に、甲子園決勝後の宿舎でのミーティングで、小倉全由前監督はみんなの前で言った。「お前な、1年からずっと、いつも一生懸命にやってくれていたな。ありがとう」。
山端 僕の顔を見てそう言っていただきました。光栄でした。
将来は野球場に携わる職業を目指す。「広報の仕事や、球場の運営や、野球場に関連したことをやってみたいです」。控えめな言い方だったが、山端のガッツならば、必ず目指す進路を実現するはずだ。
仲間を大切に、部の団結力で打ち勝つ野球を目指す、それが三高だと理解している。およそ30年、そうしたチームカラーは多くの高校野球ファンから支持され、今夏の全国準優勝に結び付いたと言える。
その中で、山端大輝がグラウンドに立ち続け「仲間がいたから続けられました」と3年夏に言える軌跡もまた、1人の選手が生きたまぶしい高校野球に感じた。
合宿所で話を聞いた時、三木監督から「顔が汗まみだぞ」と言われると、この上なくうれしそうにはにかんでタオルを出し、顔を拭くと、三木監督に向かってニッコリした。
すぐにでも似顔絵が描けそうな、一度見たら忘れない爽快な笑顔で、この先も自分の目指した道を突き進んでほしい。【井上眞】

