特等床山の床鶴(音羽山)が、今場所限りで定年退職になる。千秋楽が最後の仕事になるが「まだ実感はないんですよ。こうして本場所に来て、みんなと生活して仕事をしている。東京に帰って、部屋に行かなくなると実感がわくのかもしれません」と話した。
中学卒業後の1976年3月に元関脇鶴ケ嶺の君ケ浜部屋に入門。力士志望だったが体が小さく、床山になった。師匠の名跡変更や転籍などにより井筒、陸奥、音羽山の各部屋に所属してきた。鶴嶺山、逆鉾、寺尾、霧島、鶴竜…、本場所では約10人の大銀杏(おおいちょう)を担当してきた。
「所属した部屋から大関、横綱が出て、髪をやれたのは恵まれた床山人生じゃないかと思います」。1991年初場所で大関霧島が優勝。翌2月に床鶴は結婚し、お祝いになったことが思い出深いという。
22日に65歳の誕生日を迎えた。来月以降の予定は決まっていない。「音羽山親方(元横綱鶴竜)からは『(部屋の床山が)巡業に出たりした時は、部屋に来て(髪結いを)やってもらえませんかね』と言ってもらってます」。約50年勤め上げてもなお頼られることは、誠実に仕事をしてきたことの証しでもある。
元大関霧島の陸奥親方(66)は「1歳違いだからね。(床鶴が)部屋に来た時、私が国技館に連れて行った。責任感があるし、モノを預けたりとか、信用できた。昔は関取が多かったから、大変だったんじゃないかな。千秋楽に会うから、『ごくろうさま』と伝えたいですね」とねぎらった。
元横綱鶴竜の音羽山親方は床鶴について「本当にまじめ。責任感が強くて、任せて安心。私よりも、部屋の若い衆とメシを食って、親方に言われたことはちゃんと守りなさい、というような話をしてくれます」と変わらぬ信頼を寄せていた。【佐々木一郎】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)


