【追憶 桑田真澄⑧】孤立無援を救った池田高校・井上和己 手紙を通して続いた友情

PL学園の桑田真澄。すべての野球好きが胸躍る響きです。巨人入りで加速した人間不信。1人の球友が支えてくれます。10回連載の第8話。(2017年6月10日掲載。所属、年齢などは当時。文中敬称略)

高校野球

堀まどか

★「大人って信用できない」

PL学園の背番号1は輝いていた。

だが、甲子園の大観衆の期待に応え続けたヒーロー桑田は、ドラフトを境に孤立無援となった。普通の17歳なら耐えきれなかった孤独感。

しかし、桑田には既視感があったという。

中学3年の3学期、桑田はPL学園に入学するために隣の中学校へ転校した。

すでにPL学園進学を決めていた桑田に対し、2学期まで通っていた中学の教員が、桑田を欲しがった野球の強豪校への進学を強く勧めた。

他の選手たちもまとめて引き受ける条件がついていたからだった。

PL学園に入学するには転校するしかなかった。転校前も、転校後も、桑田を理解する大人は少なかった。

桑田生徒会長にも選ばれ、勉強も頑張った。野球部では3年生で全大会優勝して文句のつけようがないはずなのに、卒業直前に問題児と言われた。そのとき、信頼していた学校の先生に裏切られた思いだった。大人って信用できないなと思った。

★ホームステイで意気投合

その時受けた心の傷は3年後、17歳を守る盾になった。

桑田中学3年の経験がドラフトのときに生きました。自分の本心は誰にも言わないようにした。

周囲が問いただしたいことは山ほどあった。だが、沈黙を守り続けた。

そんな桑田の心中を思う人間がいた。

2年前の夏の甲子園大会準決勝で対戦した池田の元捕手、井上知己だった。

高校日本代表の米国遠征で、ホストファミリーとの記念撮影に収まる左から井上氏、1人おいて桑田氏=1985年

高校日本代表の米国遠征で、ホストファミリーとの記念撮影に収まる左から井上氏、1人おいて桑田氏=1985年

井上と桑田は83年高校日本代表の米国遠征で、同じ家にホームステイ。チーム内でも特別親しい間柄だった。

3週間近く同じ屋根の下で暮らし、井上の同大進学後も手紙を通して交流は続いた。

井上「今日からまた練習が始まりまして、憂鬱(ゆううつ)です」とか書いてきて。でも常に自分のことより僕のことを気遣ってくれた。「井上さん、頑張ってくださいね。応援してますから。ベストナイン取ってくださいね」って。ありがたいな、心優しい人だなって思いましたね。

★池田―同大―東芝府中 

同大卒業後は社会人の東芝府中でプレーし、今は東芝エレベータに勤務する井上は、桑田の手紙を大事に持っている。今から32年前の秋、井上は自分の知る桑田と逆風を受けるダークヒーローとの差異に戸惑った。

井上僕の桑田の印象は、優しくてまじめ。高校日本代表の練習を終えてバスに乗る寸前まで、彼は外野で走っている。休めるときは休んだらって言ったら、PLの同級生はまだ練習してますから、自分だけ休めないですって答えた。そういうヤツなんです。

パイレーツ時代の桑田=2007年6月

パイレーツ時代の桑田=2007年6月

井上の知る桑田は、ひたむきで懸命だった。ホームステイ先では米国人相手に、知りうる限りの英語を駆使して2人の意思を伝えてくれた。勉強家だった。

井上自分の高校野球がこれからというときに、僕の大学での活躍を祈ってくれていた。メンタルは強いし、頭はいいし、いいヤツだった。今も野球以外でもゴルフ番組に出たり、ワインやピアノについて話しているのを見ると、本当にいろんなことに一生懸命なんだなって。出会ったことを誇りに思える友人です。

07年、井上は桑田に会った。パイレーツを退団し、現役引退の意思を固めた桑田は「早稲田に行きたいんです」と告げた。

高校3年の秋に封印した早大への思いを持ち続けていたことを、井上は知った。(つづく)