【レジェンドのその後】メキシコ五輪銅の杉山隆一は情熱衰えず「走れないとサッカーはできない」

一線を退いてもまだまだ元気だ! 往年の名選手、指導者の気になる今を紹介する「レジェンドのその後」を蔵出し配信。今回は68年メキシコ五輪で日本男子サッカーの銅メダルに貢献した、杉山隆一さんです。18年ロシアW杯直前のインタビューで、日本代表に熱いメッセージを送ってくれました。(2018年6月5日紙面より。年齢、所属など当時)

レジェンドのその後

荻島弘一

<68年メキシコ五輪銅メダル>

サッカーへの情熱で、今でも「黄金の左足」はうずいている。68年メキシコ五輪で銅メダルに貢献した杉山隆一さん(76)は、14日に開幕するW杯ロシア大会を楽しみに待つ。現役引退後はヤマハ発動機の監督としてJ1磐田の礎を築き、自らも70歳過ぎまでプレーを続けた。4年前に右股関節を手術してからピッチに立つことはないが、再び仲間とボールを蹴り、酒を酌み交わすという目標が、杉山さんの原動力だ。

◆杉山隆一(すぎやま・りゅういち)1941年(昭16)7月4日、静岡市清水区(旧清水市)生まれ。袖師中でサッカーを始め、清水東3年時に日本代表候補に初選出。明大を経て66年に三菱重工入り。64年東京五輪、68年メキシコ五輪に出場。71年に代表を引退し、73年に現役引退。日本サッカーリーグ(JSL)通算115試合40得点、国際Aマッチ56試合15得点。74年にヤマハ発動機の監督に就任し、87年から総監督。その後、磐田のスーパーバイザーを務める。

69年、三菱重工で活躍する杉山隆一(左)

69年、三菱重工で活躍する杉山隆一(左)

一時は箸を持つことも難しかった…

「元気じゃないよ。サッカーができないから」。杉山さんは、笑いながら言った。4年前に痛めていた右股関節に人工骨を入れた。3年前には飲み会で転倒して首を強打。3カ月入院したが手のしびれがひどく、一時は箸さえ持つのが難しかったという。それでも、マッサージとリハビリで回復。今は「普通の生活はできてるよ」と話した。

「メキシコ組」と呼ばれる日本サッカー界の伝説的なチーム、68年メキシコ五輪代表の中で、ストライカーの釜本邦茂さん(74)とともに中心だった。一瞬のスピードで左サイドを駆け上がり、中央の釜本にラストパス。「杉山-釜本」のホットラインが、チームを銅メダルへと導いた。

日本サッカー殿堂掲額式典で記念撮影する、杉山隆一氏=2018年9月10日

日本サッカー殿堂掲額式典で記念撮影する、杉山隆一氏=2018年9月10日

今でもスーパースター

あれから50年、サッカーへの情熱は衰えない。14日に開幕するW杯を前に「日本はベスト16に2度なっている。次は、その上を目指さないと。優勝なんて夢を語ってないで、しっかりとベスト8に入ること」と後輩たちにゲキ。さらに、20年東京五輪に向けて「今でも銅メダルが最高じゃダメだな。その上の成績を狙ってほしいし、狙える」と地元での決勝進出を望んだ。

サッカーへの思いが、健康法でもある。4年前の手術の時にタバコをやめ、酒量も減った。「仲間と飲むのは楽しいし、今でも1カ月に何回かは行くけど、晩酌はしなくなった。入院したから、自然と」と話す。リハビリやマッサージは欠かさない。再びボールを蹴るために。「立ってるだけでいいから試合に出てくれと言われるけど、それじゃ意味がない。でも、選手たちが『杉山と一緒にサッカーをした』と喜んでくれるのはうれしい」。かつての「黄金の左足」は、今でもスーパースターだ。

68年5月、全日本の練習でコーチのクラマー氏(左)の指導でコーナーぎりぎりからのセンタリング練習をする杉山

68年5月、全日本の練習でコーチのクラマー氏(左)の指導でコーナーぎりぎりからのセンタリング練習をする杉山

現在は静岡県サッカー協会の副会長。仕事は週に1回、同協会が指定管理者となっているエコパスタジアムに通っている。「ピッチで走りたい。今は歩けるけれど、走れない。走れないと、サッカーはできないからね」。抜群のスピードで世界を驚かせた杉山さんらしい言葉だ。「メキシコ50周年パーティーの連絡が松本(育夫)から来た。元気なら出たい。久しぶりに、みんなと飲んで、話がしたいね」。サッカーを語るときの杉山さんは、やっぱり元気いっぱいだ。

【「レジェンドのその後」は毎週金曜日に配信します。お楽しみに!】