あのマラドーナに触れた。もちろん、昨年11月25日に60歳で亡くなったサッカー界伝説のスーパースター、ディエゴ・マラドーナのことだ。

マラドーナが86年W杯メキシコ大会の時に着用したユニホーム
マラドーナが86年W杯メキシコ大会の時に着用したユニホーム

■日本人コレクターのお宝グッズ

目の前に広がるのはユニホームの山。ナポリ、バルセロナ、ニューウェルス・オールドボーイズ、そしてアルゼンチン代表の「セレステ・イ・ブレンカ(スペイン語で水色と白の意味)」。どれもマラドーナ本人が現役時代に着たユニホームだ。アルゼンチン代表のものは、あの世界一に輝いた1986年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会で着用していたものだという。泥と汗のシミが残るメッシュ地の1枚を手に取った。こんなに薄かったのか。当時の映像が頭の中に浮き上がってくる。アステカの太陽に照らされ、世界の注目を一身に浴びながらマラドーナは躍動していた。

ほかに目をやると、ひときわ小さなボタンの付いたワイシャツタイプ。とてもユニホームと思えない布地の逸品は、6歳頃の少年サッカー時のものだという。その後のアルヘンティノス・ジュニオルスの下部組織「セボ・ジータス(小さな玉ネギ)」時代のものまで。これらはすべてマラドーナ・グッズの世界一収集家、永井孝英さんの持ち物だ。

会うまでは60歳ほどのマラドーナ世代の方かと想像していたら、年齢は43歳という若さ。その永井さんは幼少期の記憶が忘れられないという。1982年1月、ボカジュニアーズのメンバーとしてマラドーナは来日。日本代表と3試合を戦った。父に連れられ、神戸での試合を見た。

「小さかったのでどんなプレーかは覚えてはいないですけど、1人だけ違う人がいたというイメージ。観客がおかしい感じになっていたんです。サッカーファンでなく、野球好きの父までも大騒ぎしている。何でこんなに騒いでいるんだ? って。子どもながらに思いました」

日本代表対ボカ・ジュニアーズ 前田秀樹(左)のチャージにも負けず見事なボディーバランスのマラドーナ (1982年1月24日) 
日本代表対ボカ・ジュニアーズ 前田秀樹(左)のチャージにも負けず見事なボディーバランスのマラドーナ (1982年1月24日) 

■25年かけて集めた400点

サッカー少年となったが、サッカーよりもマラドーナそのものへの関心が膨れ上がった。当時の日本では、海外サッカーを見られる機会はあまりにも少なかった。マラドーナのスーパープレー見たさからイタリアにいる日本人の知り合いを頼りに、ナポリでプレーする映像を集め出した。

大学生になった頃、日本フットボールリーグ(JFL)のPJMフューチャーズにセルヒオ・バチスタが所属していた。元アルゼンチン代表でマラドーナと一緒に86年W杯で世界一に輝いた選手だ。そのマネジメントをする日本人担当者と知り合いになり、マラドーナのアルゼンチン代表ユニホームをもらった。そこから収集熱に拍車がかかった。入手ルートを地道に広げていき、25年ほどの歳月をかけてマラドーナ・グッズが山のように集まった。

「海外の方が選手と一般人の距離が近いというか。当時は簡単に練習場にも入れたし、ナポリなんて小さい街なんで、みんながマラドーナの家族と知り合いだったり。当時は入手しやすかったようです。ただファンじゃない方もいるので、そういう人はあげるよ、みたいな。マラドーナファンじゃないけど持ってるよ、って」

86年W杯メキシコ大会のウルグアイ戦でマラドーナが着用したユニホームを手にする永井孝英氏
86年W杯メキシコ大会のウルグアイ戦でマラドーナが着用したユニホームを手にする永井孝英氏

その数は約400点。今やマラドーナが着たユニホームが本物か偽物か、海外から鑑定を依頼されるほど。首もとにあるタグの数字を見れば、すぐに分かるという。特に価値が高いのは、やはり86年W杯のユニホームだ。「これは時間がかかりました。20年くらい手放してくれませんでした」。保持していたアルゼンチン代表の関係者を口説き続け、譲り受けることに成功したという。

海外から「グッズすべて譲ってほしい」と巨額オファーを受けたこともあるが、永井さんは「売り物ではない」と取り合わなかった。ただし、マラドーナ本人に会ったことはない。あくまでモノへの執着心。そんな最強コレクターにとって、マラドーナとは何か?

「いろんな顔を持っている。スーパースターであり、裏の顔もある。ひっくるめてマラドーナって人をひきつける。人間、優等生ばかりじゃない。そこがおもしろいじゃないですか。マラドーナ探しの旅をずっとしている感じ。映像を見るのもそうですし、記事を読んでも。世界中で昆虫探しをしているようなもの。ほぼ私の人生です」

マラドーナが背負った「10番」のユニホームの数々
マラドーナが背負った「10番」のユニホームの数々

■ドキュメンタリー映画2・5公開

突然の死去から2カ月。今回、永井さんのお宝が日の目を見ることになったのも、ドキュメンタリー映画「ディエゴ・マラドーナ 二つの顔」が2月5日から日本で公開されることになったからだ。映画館で永井さんの所有するマラドーナ・グッズが展示されることになっている。

そして一般公開を前に、このドキュメンタリー映画を見た。500時間に及ぶ、幼少期からのドキュメント映像をもとに、波瀾(はらん)万丈の人生を描いている。メインとなっているのは、1984年から過ごしたイタリア・ナポリだった。本拠地「スタディオ・サン・パオロ」での入団会見に始まり、デビュー戦やプライベート映像まで。どれも初めて見る珠玉のものばかりだった。

強い衝撃を受けたのは、当時のスタジアムに掲げられたサポーターによる差別的な横断幕の数々。イタリアには貧富の格差という南北問題があった。貧しい南部のナポリに対し、裕福な北部のクラブ、ユベントス、ACミランなどのサポーターは、現代では考えられないような罵詈(ばり)雑言を公然と浴びせていた。欧州におけるサッカーとは、社会問題を抱える街の代理戦争の性質が強い。マラドーナ自身、ブエノスアイレス郊外の貧民街の出身。86-87年シーズン、クラブに初のスクデット(リーグ優勝)をもたらしたマラドーナがナポリで神格化されたのも、そういった歴史的な背景があったからにほかならない。

他方で、マラドーナにとってナポリとは、栄光の一方で転落への始まりでもある。マフィア一家との付き合いが始まり、常習的にコカインに手を出すようになった。映画の中でマラドーナは「拒むことはできなかった」と明かしている。また、愛人との隠し子が公にさらされるなど、サッカーよりもピッチ外でのスキャンダルばかり目立つようになる。

激しい毀誉褒貶(きよほうへん)の中、感情が大きく波打つ。現代であれば優秀なエージェントたちが周りを固め、守ってくれただろう。だが、当時のマラドーナはあまりに無防備だった。1人で11人を相手にするような本能的なプレースタイルさながらに。そういう時代だったと言ってしまえばそれまでだが、あまりにも非効率であり、非生産的だった。

「ディエゴ・マラドーナ 二つの顔」2月5日より全国ロードショー© 2019 Scudetto Pictures Limited
「ディエゴ・マラドーナ 二つの顔」2月5日より全国ロードショー© 2019 Scudetto Pictures Limited

■マイケル・ジャクソンと重なる

「マラドーナの波瀾万丈の人生を振り返ると思い出すのが、同じく80年代に活躍したスーパースターのマイケル・ジャクソンです」

そう話してくれたのは、ヨコハマ・フットボール祭の実行委員長で、世界中のサッカー映画に精通する福島成人さん。今回の映画の宣伝も務めている。「キング・オブ・ポップ」と呼ばれたマイケル・ジャクソンは、09年に50歳で急逝している。どちらも幼少期から注目されたエンターテイナーであり、世界のトップを極めた時代の寵児だ。

福島さんはこう続けた。

「2人とも、その類まれな才能は、世界中にファンを作りましたが、マネジメントや心理的ケアが不十分だったために、さまざまなスキャンダルに巻き込まれたことも共通しているように思います。マイケルの死後に『THIS IS IT』で多くの方が、その輝きを思い出したのと同様に、この映画でマラドーナのかっこいい姿に浸ってもらいたいです」

1980年代の輝きを知る世代にとっては、マラドーナとはまるでタイムスリップのスイッチだ。その映像を一目見れば、頭の中は一瞬にしてあの時代へと遡ることができる。ピッチを躍動する姿、スーパープレーに歓声を上げる大観衆。それらが、つい最近のことのように浮かび上がってくるのだ。世界のサッカーはすごい、この目で実際に見てみたいと思い描いた若かりし頃の自分も甦ってくる。セピア色した昔日のさまざまな記憶とともに。コレクターの永井さんの「マラドーナ探し」の旅も、初めてサッカーを観戦した父との楽しい記憶に行き着くのだろう。

マラドーナはもういない。だがいなくなってなお、多くのファンの心に「10番」は生き続ける。そんな思いを強くしている。【佐藤隆志】(ニッカンスポーツコム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)

日本代表対ボカ・ジュニアーズ ゴールを決めるマラドーナ(1982年1月16日) 
日本代表対ボカ・ジュニアーズ ゴールを決めるマラドーナ(1982年1月16日) 
ナポリ時代のマラドーナ(PNP)
ナポリ時代のマラドーナ(PNP)
「ディエゴ・マラドーナ 二つの顔」2月5日より全国ロードショー© 2019 Scudetto Pictures Limited
「ディエゴ・マラドーナ 二つの顔」2月5日より全国ロードショー© 2019 Scudetto Pictures Limited
マラドーナが86年W杯で着用したキャプテンマーク
マラドーナが86年W杯で着用したキャプテンマーク
マラドーナが現役時代に使用したスパイク
マラドーナが現役時代に使用したスパイク