清水東高時代の恩師3人は、地元静岡で陰ながら応援を続けてきた。監督として指導した梅田和男氏(現静岡城北監督)は本人から直接、引退を聞いた。「発表の10日前ぐらいに急に電話が鳴って」。ドイツ移籍の時や結婚の報告も電話。節目に必ず連絡してきた律義な一面を知っていただけに「そうだろうな、と思った」と明かした。

当時コーチだった渡辺勝己氏(現清水東監督)も本人から決断を聞いた。偶然にも、引退を決めた内田に2人は同じ質問をぶつけたという。「カテゴリーを下げてプレーできるんじゃないか」。返答は「もう体が100%に戻らないんです」だった。潔い引き際に、渡辺氏は「それも内田らしい」と意思を尊重した。

もともと攻撃的な選手だった内田をサイドバックで起用したのは梅田氏。持ち前のスピードを生かすためだ。中学まで無名だった選手が、高校2年時に才能が開花。その後は年代別日本代表で経験を積み、プロになる夢をかなえた。

手を抜かない真面目な選手だった。高校2年時の担任だった藤井建樹氏(現静岡城北教諭)は「海外遠征後に成田空港からそのまま職員室にきて課題を提出していた」と振り返る。自宅がある県東部の函南町から毎日1時間半をかけて通学。自主練は欠かさなかった。県内有数の進学校を志望した理由は「文武両道を目指すため」。教員だった父親の影響が大きかった。

飾らない性格も魅力の1つ。渡辺氏は「電話でお願いしただけで、学校にきてくれたことがあった」。日本代表を代表する希代のサイドバックになっても、地元を大切にする。梅田氏も「どこにでもいる高校生がそのまま大人になった感じ」と目を細めた。

早すぎる引退にも「よく頑張った」と口をそろえる。高校時代を回想し、内田の功績をねぎらった恩師3人の表情は誇らしげだった。ユニホームを脱いでも、自慢の教え子に変わりはない。今後の活躍も、温かい目で見守っていく。【神谷亮磨】(おわり)