Jリーグの横浜Fマリノス、柏レイソルでプレーした韓国代表MFだった柳想鉄(ユ・サンチョル)氏が膵臓(すいぞう)がんで亡くなって2年を迎え、世界から追悼のコメントが寄せられた。柳氏は、19年11日に膵臓がんを明かし、21年1月までKリーグ仁川ユナイテッドの監督を続けた。日本に愛着があり、横浜の招待で来日して、日産スタジアムでのJリーグの試合前にサポーターにあいさつするなど、一時回復の兆しを見せていたが、21年6月7日に亡くなった。

2年がたち、02年W杯日韓大会で韓国代表監督を務めたヒディンク監督から「韓国にとっても私にとっても真の英雄」。柳氏の教え子で韓国代表MF李康仁(イ・ガンイン=マジョルカ)は「天国で見守ってください」。国際サッカー連盟(FIFA)は「いつまでもW杯の英雄」。韓国サッカー協会(KFA)は「あなたと一緒だったあの日の歓声と栄光を永遠に記憶します」と追悼のコメントが寄せられた。