採点を待ちながら、マキシム・ナウモフ(米国)は1枚の写真を取り出した。幼い頃、スケートリンクで両親と撮影した思い出のスナップだ。「85・65」。自己ベストを10点近く更新する得点が表示されると、彼は祈るように写真を額に押し当てた。「父さん、母さん、やったよ」。今にも泣きだしそうな顔に、そう書いてあった。

米国のナウモフは両親の写真を手に笑顔(ロイター)
米国のナウモフは両親の写真を手に笑顔(ロイター)
両親の写真にキスをする米国のナウモフ(ロイター)
両親の写真にキスをする米国のナウモフ(ロイター)

ミラノ・コルティナ五輪(オリンピック)フィギュアスケート男子ショートプログラム(SP)。2番目に登場したナウモフは、両親への感謝を込めて選曲したショパンのノクターン(夜想曲)に乗って氷上を優雅に舞った。最初の4回転サルコーをはじめジャンプもすべて完璧に決めてみせた。演技を終えると天を仰いで深く目を閉じた。

フィギュアスケート男子SP 演技を行うマキシム・ナウモフ(ロイター)
フィギュアスケート男子SP 演技を行うマキシム・ナウモフ(ロイター)

突然の悲劇は昨年1月29日に起きた。米ワシントン近郊で旅客機と軍用ヘリコプターが空中衝突。多くのフィギュアスケート関係者が犠牲になった。乗客には94年世界選手権のペアで金メダルを獲得したナウモフの両親もいた。彼にとって幼い頃からのコーチでもあった。深い悲しみは想像すらできない。それでも彼は立ち上がり、今年1月の五輪代表最終選考会で米国3枚目の切符をつかみ、五輪の舞台にやってきた。

演技を終えると会場は大歓声に包まれた。両親との悲劇的な惜別という心の痛みに耐えて、彼は難しい挑戦をやり遂げようとしている。その切なさ、生き様に私も胸を打たれた。彼の演技には家族の愛にしっかりと支えられてきたんだという確かな自信が込められていたように見えた。

一人の男を思い出した。男子スピードスケートのダン・ジャンセン(米国)。88年カルガリー五輪で500メートルの競技会場に到着した彼にメッセージが届いていた。「お姉さんが先ほど亡くなられました」。白血病だった。優勝候補だった彼は集中力を欠いて第1コーナーで転倒。両腕で頭を抱えて泣きじゃくった。

スケートの手ほどきをしてくれた最愛の姉に金メダルを届けることができず、彼は悲劇のドラマの主人公になった。しかし、6年後の94年リレハンメル五輪。最後のレースとなった1000メートルを世界新記録で制して、辛苦のドラマをハッピーエンドで締めくくってみせたのだ。スポーツには、五輪には、深い悲しみを癒やし、人を奮い立たせる力があるのだと思った。

ナウモフはSP14位でフリー進出を決めた。メディア専用サイトに彼のインタビューを見つけた。

「今日は両親に導かれているようだった。写真は私が3歳のときに初めて氷上に立ったときのものだ。両親は今もここ(胸を指して)にいる。そして(スケートが)私が前に進み続けることを可能にしてくれたんだ」。

きっと天国で父と母が泣いている。彼のコメントを読みながら、そう思った。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)

男子SPで演技する米国のナウモフ(撮影・前田充)
男子SPで演技する米国のナウモフ(撮影・前田充)