関学大が早大を38-28で下して2連覇を果たし、史上最多を更新する30度目の優勝を飾った。

今季限りで勇退する鳥内秀晃監督(61)にとっては、就任28年目で12度目の学生日本一。逆転に次ぐ逆転で接戦を制した。名将の最後の試合は、来年1月3日に社会人王者と対戦するライスボウル(東京ドーム)に決まった。甲子園ボウルの最優秀選手には関学大のWR阿部拓朗(4年)が選ばれ、年間最優秀選手に贈られるミルズ杯は立命大のQB荒木優也(4年)が獲得した。

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最後の甲子園。鳥内監督は右手で優勝トロフィーを掲げた。この直前、名将と愛弟子の愛あふれるやりとりがあった。決戦後、選手全員で写真撮影をする姿を外から見ていた監督に、選手が声をかけた。DL寺岡芳樹主将(4年)がトロフィーを渡しての撮影を求めたが、1度は辞退。結局応じ、教え子達に囲まれ、銀の優勝杯を高く上げた。

「何回も来させてもらってるからありがたいこと。主役は学生やから。勝ってよかった」。鳥内監督から笑みがこぼれた。

試合は一進一退の攻防だった。3-7とリードされた第2クオーター(Q)、QB奥野耕世(3年)からWR阿部へ8ヤードのTDパスで逆転すると、その約9分後、同じコンビで4ヤードのTDパスを決め17-7と突き放した。ところが、第3QにTDを決められ、27-28で再びリードを許すも、第4QでRB前田公昭(2年)が相手陣1ヤードからランで勝負を決めた。

接戦を制し、鳥内監督は「厳しいゲームになると想定していた。後半はよう集中した」。普段、試合後には「なめとる!」と辛口の指揮官だが、うれしそうに顔をほころばせた。

92年に監督就任以来、監督として15度目の甲子園ボウル出場で12度目の優勝。「あの(選手の)笑顔を見るために、毎年がんばってやってるから」と言い、学生日本一という目標を達成した選手をたたえた。寺岡主将は「監督が僕たちの笑顔を見てホッとしてくれたのか、(監督が笑ったときが)最高の瞬間でした」と振り返った。

監督としての最終戦は来年1月3日の社会人王者との決戦「ライスボウル」になった。01年度以来、勝利はない。昨年度は富士通を相手に17-52と完敗。その試をめぐり、社会人との力の差に「ケガが心配」と不安を吐露していた。鳥内監督は「まだ行くかどうか(指揮をとるか)決めてへんし」と煙に巻きつつも「考えるわ、久々に」と、愛弟子たちとの最後の決戦へ思いをはせた。【南谷竜則】

◆甲子園ボウル優勝監督 過去の歴代優勝監督を見ると、日大の篠竹幹夫氏が最多17度の優勝。鳥内監督の12度はそれに続く。両氏がずば抜けて多く、京大の水野弥一氏は6度。

◆鳥内秀晃(とりうち・ひであき)1958年(昭33)11月26日、大阪市生まれ。大阪・摂津高時代はサッカー部で全国選手権出場。関学大監督だった父昭人氏(故人)の影響で関学大でアメフトを始め4年時はDBで副将。卒業と同時に米国コーチ留学に。86年関学大守備コーチ、92年監督就任。息子3人も同部で指導した。関学大スポーツ振興・統括課所属。16年大学世界選手権日本代表監督。家業の製麺会社も経営する。

◆関学大ファイターズ 1941年(昭16)創部。甲子園ボウルは49年に初出場初優勝を飾るなど歴代最多53度出場で最多30度優勝、ライスボウルは12度出場で01年度の優勝1度、関西学生リーグ制覇は57度。甲子園ボウルで最多29度対戦した日大との激闘は「赤と青の対決」と称されたが、18年5月の悪質タックル問題で定期戦中止を継続中。チームカラーはKGブルー、黄、白。所在地は兵庫県西宮市。