<陸上世界選手権>◇第1日◇10日◇モスクワ・ルジニキスタジアム発着特設コース◇女子マラソン

 マラソンで初出場の福士加代子(31=ワコール)が、初の銅メダルを獲得した。30キロ手前で先頭集団3人から遅れたが、開き直って好走。35キロ過ぎに3位メルカムを抜いてゴール。大会1号メダルは、日本女子マラソンでは2大会ぶり通算11個目となった。

 観客席に、何度も手を振った。銅メダルを手中にした最後の直線。福士は、笑顔を振りまいた。最後は両手を高く掲げてフィニッシュ。そのまま、元気に日の丸を広げ、子どものように跳びはねた。最後は4位の木崎と抱き合った。

 「すごいじゃーん。本当に頑張った。最後トラックでこんなにうれしく走ったことはない。こんなに楽しいトラックはないです」

 スタート時で31・7度。酷暑のモスクワで先頭集団に食らいつくも、30キロ過ぎに遅れた。「もう無理だと思った。周り(の景色を)を楽しもう。手を振っていたら、前の選手が落ちてきた」。3位メルカムをとらえ、抜く。振り切ると、メルカムは根負けしたように、止まった。

 「ちょっと前がいると元気になる。これ(メルカム)が昔の自分かと。(マラソンで)初めて1人抜きました。落っこちなければ、また私そのままだったのに。また抜かれるのかなと思って、もういいやと思っていたのに」

 「トラックの女王」は、マラソンでは終盤の失速を繰り返した。08年大阪国際では4度転倒。今年1月の同マラソンもラスト1キロで抜かれて2位。「前が落ちると元気になるんだなあ」とおどけた。

 大会2週間前まで出場辞退が検討されていた。3月末にインフルエンザにかかり、薬の服用を嫌い回復が遅れた。永山監督は「青森でりんごを食べて健康に育ってきたから。病院嫌いの部分で病気が長引いた」。約1カ月、全く練習ができなかった。今も、おかゆだけ。「今でも貧血のような状態」(永山監督)で、レースに臨んだ。

 6月には野口、木崎とともに米国ボルダー合宿を行った。「みんなすごくて、距離もスピードも刺激を受けた。あと、2人ともよく食べる人たち」。7月は再び野口のいるスイス・サンモリッツへ。その間思った。「私、なんでこんなに頑張っているんだろう。力むことはない」。

 31歳でやっとマラソンでメダルを獲得した。永山監督は今後について「競馬でいえば先行逃げ切りなので差し脚を意識した。トラックのスピードを生かしてやりたい」。調整に成功すれば、伸びしろも期待できる。福士は「マラソンってレースも長いし、練習も長い!

 今日も5キロぐらいでもう長いと思った」と、はじける笑顔で、彼女らしい憎まれ口をたたいた。【益田一弘】

 ◆福士加代子(ふくし・かよこ)1982年(昭57)3月25日、青森・板柳町生まれ。五所川原工高で陸上を始める。00年ワコール入社。長距離代表で五輪は3大会連続出場、世界選手権は5度出場。5000メートルとハーフマラソンの日本記録保持者。160センチ、45キロ。血液型A。