子供の頃からプロ野球が好きで、巨人の大ファンだった。水泳を続けているうちに、野球、サッカーなどのプロスポーツとの違いを考えるようになった。プロって何か格好いい。アマチュア選手として憧れたし「プロと何が違うんだろう」との嫉妬感も生まれた。プロスイマーになりたいとの思いが芽生えてきた。

 高校3年の(00年)シドニー五輪で4位。悔しさとともに、次のアテネでは金メダル獲得は夢ではないと確信できた。次の4年間は世界一への挑戦だった。プロとして注目された中で結果を出そうと決意した。過去にプロスイマーはいない。だからこそ、水泳という競技が野球、サッカーのように人生で勝負できるスポーツにしたい。自分の身をもって証明していくつもりだった。

 (01年に)日体大に入学すると、すぐに学校側に「プロにならせてください」と直接言った。当時はプロとアマの壁も高く、日本学生選手権(インカレ)には2、3年時に出場できなかった。困難はあったが、気持ちはぶれなかった。03年6月にはプロ宣言した。その後、03年世界選手権、04年アテネ五輪ともに2冠を達成できた。勝ち続けなければプロの価値は下がる。負けられないとの思いは大きな原動力になった。

 プロとアマの垣根はほとんどなくなってきた。かつての競泳選手は、大学を卒業したらやめる「学生スポーツ」だった。近年は水泳人気も高まり、支援企業も増えた。社会人になっても競技を続けられる選手も多くなった。僕がプロになって結果を出したことで水泳の注目度が増し、少しでも選手たちの環境が良くなったとすればうれしい。

 北京五輪翌年の09年6月には選手のマネジメント、水泳教室などを展開する「IMPRINT」を設立した。北京五輪前から、ここで一区切りをつけて1回リセットしようと考えていた。仮に水泳をやめたら何をするか。水泳しか出来ないやつなんてつまらない。組織に入るより、自分で管理して判断してやっていこうと思った。

 会社は今年で8年目を迎えた。12年のロンドン五輪後は、水泳より社業の比重が大きかった。多忙な日々だったが、苦にはならなかった。数字のチェックなどで、ストレスがたまると泳いだ。するとパンクしそうだった頭がリセットされる。生活にメリハリをつけたからこそ、33歳まで現役を続けられたのかもしれない。

 いろいろなことに挑戦しながら、現役生活を続けてこられたのは本当に恵まれて幸せだった。リオ五輪の代表を逃したレース後、元選手だったたくさんの仲間たちが泣いていた。現役を続けたくても志半ばでやめた人も多い。そんな仲間たちの思いも背負っていたのかと、引退してみて感じている。