胸を張って堂々と前に進む。巨人から戦力外通告を受けた育成の与那原大剛投手(24)が現役引退を決断した。今後は巨人の球団職員に転身する見込み。8日の12球団合同トライアウトに参加したが、NPB球団からの誘いはなく、新たな人生へと歩み始める。

後悔がない、とは言い切れない。1軍登板がないプロ生活7年間。「ケガばっかりで、リハビリばっかりでキツかった。一生ケガしてた」と現役生活を回想する。恵まれた体格から角度のある球を武器にする沖縄出身の長身右腕。15年ドラフト3位で入団も、何度もケガに泣かされた。

17年9月に右肘を痛めて戦線離脱。一時は保存療法で回復を試みるも改善せず、18年6月にトミー・ジョン手術を受けた。育成再契約を経て19年8月にようやく実戦復帰。「めっちゃ長かったから…」と2年ぶりの実戦マウンドは忘れられない。20年にはオープン戦3試合に登板し、防御率3・00をマークして、支配下再昇格へアピールするも、6月に右肘の肉離れで離脱。コロナ禍も重なり、1軍初登板はさらに遠のいた。

今季は、ようやくケガを気にせずに野球ができた1年だった。「何かを変えるしかない」と、2月のキャンプから杉内俊哉3軍投手コーチ(42)らのアドバイスで新球シュートとクイック投法を取り入れた。

新スタイルが実を結び、シーズン中は好調を維持した。イースタン・リーグで25試合に登板。14試合連続無失点を達成するなど、防御率2・12と堂々たる数字だった。でも、最後まで1軍マウンドは届かなかった。「1軍で投げられなかったのが、唯一の後悔」と唇をかむ。満員の東京ドームで、ヒリヒリするような真剣勝負を味わってみたかった。

だが、心はスッキリ晴れわたっている。師匠のように慕った三沢2軍投手コーチとはシーズン中でも早出練習、居残り練習を徹底。気持ちを割り切れるくらい、全力を尽くしてきた。「悔しい気持ちも、もちろんある。でも練習で全く手を抜いてないと堂々と言える自信がある。だからそれでダメならもう、後悔は全くない」と言い切った。

7年間でかけがえのない“仲間”に恵まれた。トライアウト当日の朝には、同じ沖縄出身の元同僚であるDeNA宮国から応援のラインが届いた。派遣中のオーストラリアから、わざわざ伝えてくれた「頑張れよ」の言葉が染みた。同期入団の中川と球場や私生活で常に一緒だった田中豊には「お疲れさま会」を開いてもらった。焼き肉をほおばりながら、改めて尊い存在に気付かされた。「本当にお世話になった先輩たち。3人とも、素晴らしい明るい未来になるよう、心の底から応援してます」と感謝の思いは尽きない。

最後に、伝えたいことがある。「今まで応援してくれたファンの方々や、サポートしてくれた全ての方々には感謝してもしきれない。ケガばっかりでトレーナーさんにもめちゃくちゃお世話になった。恩を返す意味でも、次の道で絶対成り上がっていけるように頑張りたい」。次なる夢は今のところは未定。球団職員として、巨人のために全力を尽くす。まだ24歳。可能性に満ちあふれた第2の人生を歩み出す。【巨人担当 小早川宗一郎】