【日本ハム週間④高橋一三さんを悼む】堀内とまさに双璧 地味だが大舞台で頼りになる肝っ玉/森祇晶

2015年7月14日、横浜スタジアムでの試合後。巨人の選手たちは高橋一三さんの訃報に接しました。多臓器不全、69歳。一様にこわばった顔で、うつむいて引き揚げる姿をよく覚えています。移籍した日本ハムでも大活躍し、チームを優勝に導いた「左のエース」。V9時代の相棒、森祇晶氏の評伝です。(2015年7月16日掲載。所属、年齢などは当時)

傑作選

森祇晶

V9時代の巨人や日本ハムで活躍した左腕で、巨人の2軍監督などを歴任した高橋一三(たかはし・かずみ)氏が14日午後4時59分、多臓器不全のため都内の病院で亡くなった。69歳だった。通夜・告別式などの日程は未定。V9時代に先発の軸として活躍。移籍した日本ハムでもエースとして君臨し通算167勝を挙げた。温厚な人柄で選手を導き、指導者としても多くの好投手を育てた。原辰徳監督(56)はじめ、後輩たちが思い出を語った。

通算167勝 胴上げ投手9度 星飛雄馬のモデル

◆高橋一三(たかはし・かずみ)1946年(昭21)6月9日生まれ。広島県出身。北川工からV9初年度の65年に巨人入団。69年22勝で最多勝、最優秀勝率、沢村賞を獲得し「左のエース」と呼ばれる。71年公式戦から最終戦でV9を達成した73年の公式戦まで、日本シリーズを含めての5連続、V9時代の優勝決定試合で通算9度勝利投手となる。73年最多奪三振、沢村賞。75年オフに富田勝とともに張本勲との交換トレードで日本ハム移籍。81年に14勝を挙げ、優勝に貢献。83年現役引退。ベストナイン2度。オールスター出場6度。引退後は巨人、日本ハムで投手コーチ、2軍監督などを歴任。09年4月~14年4月まで山梨学院大監督。現役時代は178センチ、78キロ。左投げ左打ち。夫人は元映画女優の橘和子さん。ダイナミックな投球フォームは、アニメ「巨人の星」の主人公、星飛雄馬のモデルになった。

巨人時代の高橋と森。阪急との選手権第6戦に完投勝ち、5年連続日本一に=1969年11月2日

巨人時代の高橋と森。阪急との選手権第6戦に完投勝ち、5年連続日本一に=1969年11月2日

【悼む】まだ若いのに…連絡を受けて驚いている。寂しいという言葉しか出てこない。

巨人に入団してきた頃の一三は、素晴らしく速い球を投げていたけどコントロールが悪くてね。ボールが先行して1ストライク3ボールになることが多いから、名前の通り「1―3」だなと笑っていたぐらい。

ただ、右打者の外角へ逃げていくスクリューを覚えて変わった。不利なカウントからでも打たせて取れるようになり、彼の躍進が始まった。右の堀内と、まさに双璧で投手陣を支えてくれた。

人柄は真面目で、控えめなおとなしい男だった。若い頃から気遣いもできて、ピッチャーには珍しいタイプだったように思う。もっと気持ちを表に出せばいいのにと思ったこともある。

ただ、シンは強い男だった。堀内に比べると地味なイメージだったかもしれないが、大事な試合で頼りになる存在だった。

忘れられない試合は、何といっても73年の阪神との最終戦だな。勝った方が優勝という甲子園での大一番で、一三が先発して完封した。

観客がグラウンドになだれ込んで大騒ぎになったけど、それぐらいの重圧がかかる試合で堂々の投球だった。数多く彼のボールを受けてきたが、あの試合がもっとも思い出に残っている。

しかし、突然すぎる。もう何年も会っていなかったが、元気でやっているものと思っていた。残念でならない。

堀内恒夫氏一時代を右と左で築けたのは誇り。野球人生に悔いはないと思うけど、まだ69歳。ちょっと早すぎたなという感じがする。

巨人原監督後輩思いで、面倒見が良く、温厚。いい先輩でした。エースとして対戦した、日本ハムとの日本シリーズが忘れられない。

巨人川相ヘッドコーチどものころ、V9のころから見ていた方。温厚で、でも練習は厳しくて。残念ですね。

巨人岡崎2軍監督僕は野手で、高橋さんは投手という立場だったけど、いろいろ教えてもらった。すごく優しくて、アドバイスもいろいろもらった。

巨人斎藤投手コーチ怒った姿を見たことがなかった。

巨人内海チェンジアップを教えてくれなければ、今はない。1つ1つの言葉に愛情があった。いいお父さんというか、おじいちゃんというか。

始球式前、先発の内海と。チェンジアップを授け飛躍させた=2007年6月9日

始球式前、先発の内海と。チェンジアップを授け飛躍させた=2007年6月9日

ソフトバンク王球団会長真っすぐとカーブが主流であった時代、外に落ちるスクリューボールを武器に活躍した、今の左投手の原型を作った投手でした。V9を支えた左のエースであり、いつまでも球界の歴史に名をとどめることでしょう。後進やアマチュアの指導にも熱心だっただけに、残念でなりません。

DeNA中畑監督親戚のようなつきあいをさせてもらっていた。優しくて、思いやりのある人だった。本当に寂しい。

DeNA高田GM日本シリーズや優勝が決まるところで彼がいくイメージだった。ピンチではスクリューボールで必ず内野ゴロに仕留める。温厚な人で偉ぶることもなかった。