【ヤクルト週間④高津&潮崎シンカー談義】夜の六本木でばったり…ミカン右手に語り尽くした

2022年1月、プレイヤー部門で野球殿堂入りを果たした高津臣吾監督。今は西武で編成の要職を担う潮崎哲也氏と、現役時代に繰り広げたシンカー談義を回想します。同時期にセ・パで君臨した魔球の使い手。並べてみると投球フォームもソックリ!(2022年1月15日掲載。所属、年齢などは当時。文中敬称略)

傑作選

上田悠太

野球殿堂入り通知式で、故野村克也さんのレリーフと記念撮影するヤクルト高津監督=2022年1月14日

野球殿堂入り通知式で、故野村克也さんのレリーフと記念撮影するヤクルト高津監督=2022年1月14日

◆高津臣吾(たかつ・しんご)1968年(昭43)11月25日、広島県生まれ。広島工-亜大を経て90年ドラフト3位でヤクルト入団。93年から抑えを任され、4度の日本一に貢献。最優秀救援投手4度。03年に史上初の通算250セーブ。同年オフにFAでホワイトソックス移籍。05年途中にメッツへ移り、06年ヤクルト復帰。07年オフに退団し、韓国・ウリ、台湾・興農、BC・新潟を経て、12年に現役引退。NPB通算286セーブは岩瀬仁紀に次ぐ歴代2位。引退後は14年からヤクルトのコーチを務め、20年から1軍監督。21年はチームを日本一に導き、正力松太郎賞。右投げ右打ち。

仮契約を終え、西武ドラ1の西日本工大・隅田知一郎投手(左)に帽子をかぶせる潮崎哲也編成グループ育成アマチュア担当=2021年11月1日

仮契約を終え、西武ドラ1の西日本工大・隅田知一郎投手(左)に帽子をかぶせる潮崎哲也編成グループ育成アマチュア担当=2021年11月1日

◆潮崎哲也(しおざき・てつや)1968年(昭43)11月26日、徳島県生まれ。鳴門-松下電器(現パナソニック)。88年ソウル五輪代表。89年ドラフト1位で西武入団。シンカーを武器にした横手投げ。90年7月5日オリックス戦で新人最多タイの8連続奪三振。リリーフ中心から先発に転向した97年は、先発21試合(5完投)で12勝を挙げ防御率リーグ3位(2・90)。90~04年の現役通算15年で523試合、82勝55敗55セーブ、防御率3・16。93年日本シリーズ優秀選手。引退後は05、06年編成部-07~10年投手コーチ-11、12年編成部を経て13年から2軍監督。1軍ヘッド兼投手コーチなどを経て、19年から編成グループトップのディレクターに就任。177センチ、80キロ。右投げ右打ち。

★人差し指 添えるか離すか

同じ68年生まれ(誕生日も1日違い)であり、サイドスロー、そして伝家の宝刀シンカーで一時代を築いた。

西武編成ディレクターの潮崎哲也氏(53)は、高津氏の野球殿堂入りを「同じ時代をプロ野球で過ごした人間。とてもうれしい」と祝福した。

西武-ヤクルトの92年日本シリーズ。

潮崎氏が投げるシンカーを見た野村監督が高津氏に、習得を命じた。

翌93年から守護神となり、第7戦までもつれた同年のシリーズでは、2人ともに優秀選手賞を獲得。

潮崎氏は「オリジナルのシンカーを作り上げたのは、彼の頭のよさ、地道の努力でしょうね」とたたえる。

野村克也監督(左)のアドバイスを受け、ブルペンで球練習する高津=1997年5月9日

野村克也監督(左)のアドバイスを受け、ブルペンで球練習する高津=1997年5月9日

現役終盤のこと。友利結(デニー友利)氏も交え、熱いシンカー談議をしたことがある。夜の六本木の飲食店でばったり。もちろん白球など近くにない。

「ミカンかリンゴない?」

そう店員にお願いした。テーブルに来たのはミカン。右手に握ると、ボール代わりとした。

「球の抜き方」「握り」「感覚」などを語り合った。認め合う一流同士の会話が続いた。

驚いたのは「握り方の違い」。

潮崎氏は中指に人さし指を添えて投げる。一方、高津氏は中指と人さし指を開く。

薬指と中指の間からボールは抜けづらくなるはずだが、高津氏は独自の感覚で回転を与え、何種類も、そして自在に操れた。

「制球力は本当にすごい。本当に高さ、コースを間違えない。そこは私は全くかなわない部分だった」。そうすごみを回想した。