急逝の宝田明さん 伊丹十三監督襲撃事件に勇気ある言動・・・芯のある人だった

【番記者裏話】スクープや芸能界の最新情報を求めて現場を駆け回る芸能記者が、取材を通じて感じた思いをつづります。とっておきの裏話を明かすことも…。宝田明さん急逝。印象に残る伊丹十三監督作品でのオーラ、そして男らしいエピソード。

番記者裏話

相原斎


俳優の宝田明さんが2022年3月14日、肺炎のため亡くなった。87歳。その4日前に映画「世の中にたえて桜のなかりせば」の完成披露あいさつに出席したばかりだから、文字通りの急逝である。

「ゴジラ」シリーズや「青い山脈」など、東宝ニューフェースとして活躍した50年代の華々しい足跡は、80年代に取材を始めた私にとっては文字通り映画史上の出来事で、現場の記憶にあるのは大ベテランの域に達してからの姿だ。90年の「あげまん」から「ミンボーの女」「マルタイの女」と3作連続して出演した伊丹十三監督作品が一番印象に残っている。

「あげまん」では「次の次の総理」役で出番は少なかった。が、2年後の「ミンボー」で舞台となったホテルの総支配人、その5年後の「マルタイ」では警視総監役と作品ごとに存在感を増した。一見地味とも言える演技派が集う伊丹作品で、かつての銀幕スターとしてのオーラ、「格」の違いがいい方向に作用していたように感じた。

「ミンボー」の公開中には、劇中で暴力団への対抗方法をシニカルに描いた伊丹監督が現実の組関係者に襲撃される事件が起きた。伊丹監督が運び込まれた病院に独り駆けつけた宝田さんは「私にも無言電話の嫌がらせが来ている。元気いっぱいの監督だから、早く次回作の構想に入ってほしい。あした、また来ます」と決然と語った。張り詰めた空気の中で勇気のいる言動だった。ひょうひょうとした外見の中にしっかりと芯のある人だと思った。

常々口にしていた反戦への思いも、生半可なものではなかった。父親の仕事の関係で、終戦の満州から引き揚げた凄絶(せいぜつ)な体験からの信念だった。

92年、14年と「ゴジラ」が復活する度にシリーズの象徴として出演を引き受ける義理堅さもあった。軽やかな芸風の底には揺るぎない心棒のようなものが貫かれていたと思う。