2人のオリンピアンからの温かいまなざしがあった。サッカー少年だった当時小学3年のサニブラウンは、母明子さんに連れられて、東京・台場にある公園へ遊びに行った。緑の芝生が生い茂り、砂場もあった。「こんにちは」と呼び掛けられた。声の主は明子さんと旧知の仲で、男子走り幅跳び日本記録保持者で92年バルセロナ、00年シドニー五輪出場の森長正樹さん(45)だった。

 「一緒に遊びながら、走ろうかという感じで」と森長さん。サニブラウンは、ランニングコースや芝生を無邪気に走った。砂場へ行くと、30センチほどの小さな山を作った。それを跳び越えて遊んだ。コーチングをされることもない。ただ走ること、跳ぶことを楽しんだ。森長さんに「どう?」「楽しい?」などと問い掛けられても、首をかしげて白い歯を見せることぐらいしかできなかった。それでも陸上の魅力を知る貴重なきっかけとなった。

 その後、サッカーと両立して、92年バルセロナ、96年アトランタ五輪男子1600メートルリレー代表の大森盛一さん(45)が監督を務めていたアスリートフォレストTCに入部した。当時は周りの子が走っていても、疲れたら練習をやめた時もあった。パンを食べながら、練習したこともあった。走るのが嫌いというわけではなかったが、「自分がやりたくないとやらない」(大森さん)。同じ練習場で日大の跳躍部門を指導する森長さんは「楽しんでできる範囲で一生懸命やる」と笑う。楽しむ-。本格的に競技を始めても、それが常に原点だった。

 日本選手権で2冠を達成し、世界の強豪に挑む18歳の言葉をたどる。「考えると楽しみで寝られなくなる。だからあまり考えないようにしている」「一番大事なレースを楽しむ気持ちを忘れてはいけない」。ロンドンの舞台でも、気持ちは遊び心に満ちた少年の頃と変わらない。楽しんで、大舞台で輝く。【上田悠太】(おわり)

 ◆サニブラウン・ハキーム 1999年(平11)3月6日、福岡県生まれ。ガーナ人の父と日本人の母を持ち、小3で陸上を始める。15年7月世界ユース選手権で100メートルと200メートル2冠。同年の世界選手権北京大会は200メートルに同種目の世界最年少16歳で出場し準決勝進出。今春に東京・城西高を卒業し、オランダを拠点に練習。187センチ、72キロ。