熱戦の続いたピョンチャン(平昌)オリンピックも、終わりを迎えた。

 開会式から閉会式まで、あっという間だった。

 私自身は現役時代も含めて、約1カ月と言う長い時間、オリンピック開催地に滞在したことはなかった。競泳は8日間の競技日程で、その前後を合わせても2週間の滞在だった。

 そんな中、私は運営側に回り、沢山の経験をさせてもらった。

 初めて冬季オリンピックを訪れたが、とても盛り上がったと感じる。日本人選手の活躍も多く、本当に感動の連続だった。満足いかなかった結果の選手もいるだろう。自分が選手でなくなった今、選手たちから学ぶことは多い。

 その中でやはり印象的だったのは、スピードスケートの日本人選手だった。女子は、特に素晴らしい結果を残した。

 小平奈緒選手は500メートルで金メダル、1000メートルで銀メダルを獲得した。日本選手団の主将も務めた。

 「お話をもらったときは、受けたくなかった」「主将をするとメダルが取れないというジンクスがあったから」

 日本で行われた平昌オリンピック開幕直前の結団式から、小平選手は覚悟が決まっている目をしていた。何かを悟ったような。

 主将を引き受けたことで、平昌オリンピックに対する思いをさらに強くしたのだろう。

 きっと小平選手の態度や発言を見ていた人は、分かっていたはずだ。「金メダルを取れる」と。私自身、彼女がさまざまな状況を予測し、そこに向かっていく姿勢に「応援したい」と思ったのを覚えている。


 ソチ・オリンピックは屈辱のオリンピックだったという。「オリンピックを好きになれなかった」。500メートルでは5位。1000メートルでは13位だった。当時27歳。いろんな意味で決断の時だったはずだ。

 オリンピックの借りはオリンピックでしか返せない。

 現役中、よくコーチや周囲から言われたものだ。

 小平選手はソチ・オリンピック後、2年間のオランダ留学をした。ソチで24個のメダルを獲得したオランダの強さは、今回の平昌でも際立っていた。そのスケート大国で自らを磨いた。

 一言では語れない4年間である。でもこの4年間、無駄にした日を1日もなかったはずだ。

 「1500メートルでスタートラインに立った時、この気持ちで1000メートル、500メートルもいけばいいんだと。このチャレンジする1500メートルで思えてよかった」

 選手のメンタルはとても重要だ。大事な気持ちを、どこにどうやって持っているか。少しでもぶれると、隣の選手、ライバルに勢いを持っていかれる可能性がある。

 得意種目ではない1500メートルも出場した小平選手は、その気持ちを確認したかったのではないか。

 メインの2種目。1000メートルはアウトスタート。500メートルはインスタート。どちらも不利といわれる位置だった。でも、そんなことは気にしなかった。オリンピックは3回目だ。準備は整っていた。


 2大会連続金メダルの羽生結弦選手は言った。

 「普段の試合ではそこまで、以前に試合に出ていたことは気にならない。でも、オリンピックは違う。前回、金メダルを取っているから自分はできると思えた」


 オリンピックを本気で戦った人の言葉は重い。

 「何色のメダルでもいい。色じゃなくて、どれだけここまで頑張ったかの証」

 「今回でオリンピックが好きになった。成長できたと思う」

 世界で1番になった選手が直後にメダルの価値について、話した。

 「このメダルの価値はこれからの人生で決まると思います」

 どん底からの成功を手にした小平選手はいつも冷静で、ブレない。

 まだスピードスケートのシーズンは終わっていないが、ゆっくりできる時間ができたら、もっとこの喜びをじっくり感じて欲しい。

 心から、おめでとうございます、と言いたいです。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)