2020年東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長(82)が東京大会の森羅万象について直接語る連載「会長直伝」の第2回は「直面した問題」。

寄り合い所帯の組織委をまとめる苦労や、招致決定から3人も代わった東京都知事との関係などを振り返った。【取材・構成=三須一紀】

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-会長就任から丸6年。先導役として苦労したことは

森会長 組織委で一番難しかったことは寄り合い所帯だということ。全体の4割が東京都庁からの出向。あとは政府機関、各県、民間企業から来ている。それをワンチームにすることが難しかった。同じ局長クラスでも、国の本省から横滑りで来る局長と、都庁から来る局長と、どっちが偉いの? とか、どっちが上なのか下なの? とか、形式や手続き論ばっかりやってたよ、最初は。

-国から来た人の方が偉かったのか

森会長 同じ局長クラスなら国から来た人が上のポストに就くから分かりやすいが、政府から来た課長が、都庁から来た局長とどっちが偉いかとか。そういう役所の肩書とかね、そういう確執はしばしばあった。

-それをどう解決したのか

森会長 尻をたたくしかない。縄張り争いみたいなことばっかりやってたからね。そうではなく、その仕事に対してどっちが、より良くこなせるか。そうやって決めた人事の責任は会長の私が負わないといけない。そういう人間関係を円満にすることが一番の大変だった。

-そういった問題は解消されたか

森会長 その都度解消されて、仕事のために1本になってきている。ワンチームになってきている。呼吸が合うようになってきたときには解散だね、と。そういうもんだよ。

-エンブレムの白紙撤回問題もあった

森会長 あれは作者と選考過程の問題。メディアが、組織委員会が失敗したみたいな取り上げ方をしていたが、我々が失敗したわけじゃない。だから何かあると「エンブレム問題に端を発して」と言うが、それはどうかと思う。

-都知事との関係性も大きく取りざたされた

森会長 知事とのやりとりは、その都度、その都度の関係だったな。一番物事がスムーズに運んだのが舛添知事だ。個人的にも長い友人だったし、何でもツーカーでものが言えた。毎週1度は知事室で昼飯食べながら意見交換もできた。小池知事になってからはスタートから、そういう感じじゃなかったからね。今は大人のお付き合いをしているだけで、必要以外のことは言わないし、向こうも言わない。

-招致決定後、最初の知事は猪瀬直樹氏だった

森会長 五輪招致の功労者は、石原知事だ。その後、猪瀬氏がちょうどIOC総会で招致が決まる際の知事だった。だから猪瀬氏は何でもやれると思っていたんだろう。それが自分の思い通りにならず、不満で、嫌がらせをしてたな。猪瀬氏は自分でつまらない金に手を突っ込んだのであって、我々がどうしたわけでもない。

森会長は著書「遺書」の中で、当初、猪瀬氏が自ら組織委の会長になろうとしたが「知事は会長になれない」とのIOCの意向から、名誉会長になろうとしていたと記している。

森会長 当時、猪瀬氏自身が組織委の会長になるつもりだったんじゃないの。だけどそれをダメだと言われたんでしょ。あと招致の時、中心だった(スポーツメーカー)ミズノの(水野正人)会長(当時)を事務総長にしようとしていた。それもダメだとなった。その反動に後々、小池さんが乗ったのか、猪瀬氏が乗らせたのか分からないけど、今度、我々に襲いかかってきたということだね。

-16年夏に就任した小池知事が突然、ボートやバレーボール会場の移転を打ち出し、かなり混乱した

森会長 それは知事が主体性を持って考えたことではない。知事選の頃から小池さんにアドバイスしてきた十数人のいろいろな職業の人たちがいた。これが、いわゆる仕掛け人だった。当選した小池さんの存在感を見せるために、会場の変更だとかいろいろあったけど、長い時間で難しいプロセスを踏んできたものを、知事が一言で変えられるものでもない。それが全然分からないから、とんちんかんなことをやって時間がかかり、余計なお金がかかった。今、その人たちはいなくなっている。それも当初は都が顧問料とか払っていたんだろう。東京の無駄金ですよね。

-4年前の一連の騒動を振り返ってどう感じるか

森会長 小池さんは知事に当選をしたい。当選するための手段として、都議会と組織委員会を敵にしていった。それで都民の歓心を買うようにしていったでしょ。この2つが悪の権化、巣窟、伏魔殿だと取り上げた。その結果、小池さんは選挙で圧勝した。しかし本当に伏魔殿だったのかな?

4年前、メディアは森会長と小池氏の対立構造を大きく報じた。小池氏が当選直後、会談した内容を振り返った。

森会長 あのとき小池さんに言ったんです。間違っていたなら謝るべきだと。(16年夏)知事になられていきなりリオへ行かれるというから、前の日に私がリオから帰ってきて、(当時組織委があった)虎ノ門で小池さんとお会いしたとき、このことだけは、きちんと訂正しておきなさいと。というのは組織委が伏魔殿だと言うけど、組織委の4割が都の職員。みんなあなたの部下じゃないか。その部下に対して悪魔だの、伏魔殿だの、それはおかしな話なんで、謝ることが大事だと申し上げた。でも今をもって謝っておられないんじゃないですか。

世界的巨大イベントには複雑な思惑が絡み合う。それが如実にあぶり出された実例だった。64年東京五輪でも政治問題が絡み、組織委の会長と事務総長が辞任した。

多くの困難を乗り越えつくりあげる東京大会が、未来の日本スポーツ界に何を残せるのだろうか。(つづく)