日本柔道の「天才」が、引き際を決めた。21年東京五輪男子60キロ級金メダルの高藤直寿(32=パーク24)が9日、東京都内で会見し、現役引退を発表した。
多彩な技で10代から台頭。ルール変更で苦しむ時期もあったが、世界選手権は13年から22年までに日本男子最多に並ぶ計4度、五輪は2大会連続メダルと日本のお家芸をけん引してきた。今後は所属先の指導者となり、後進の育成に力を注ぐ。
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25年間の選手生活に終止符を打った高藤の目に涙はなかった。第一線を退くことを考え始めたのは、3回戦敗退に終わった昨年11月の講道館杯全日本体重別選手権。「諦めたくない気持ちもあったが、後輩が勝った時にうれしかったのもあって、選手として戦うべきではない。もう負けたくない。勝てない自分に価値はない」と悟った。
五輪2連覇を狙った24年パリ五輪の代表を逃した後、左膝の内側靱帯(じんたい)断裂。28年ロサンゼルス五輪での復活を目指すも、同級でパリ銅の永山らハイレベルな後輩たちとの勝負の難しさを痛感した。
7歳から柔道を始め、幼少期から小柄を補う足取りを組み合わせた投げが真骨頂。「天才」と呼ばれた。しかし得意とした足取りがルール変更で反則に。12年ロンドン五輪後はより厳罰化された。過去には国内公式戦で日本初の「足取り反則負け」も経験し「もう柔道は無理なんじゃないのかなって思った」。
だが今では柔道人生の一つの分岐点。不変だったのは「柔道が好き」という真っすぐな気持ち。映像研究の時間はいつの間にか趣味に。相手の心理を読むことも取り入れた。まさに「柔よく剛を制す」。天才的なスタイル変更で打開した。
60キロ級で日本勢4大会ぶりの金となった東京五輪は格別の景色だった。しかし「自分の中では本当に『命のやりとり』。誰とやった時が1番良かったかなんて決めたくない」と一瞬一瞬の勝負に全力を注いできた。
今後は所属先の男子コーチと女子アドバイザーに就任。一方、個人では子ども向けの「オンライン柔道塾」も開設する。「僕にとって柔道は自分の道だった。自分の人生という畳の上では大事な出来事がたくさんあった。これからもこの道をどんどん歩んでいきたい」。世界の頂を極めた強さを還元する。【泉光太郎】
◆高藤直寿(たかとう・なおひさ)1993年(平5)5月30日、埼玉県生まれ。栃木県で育ち、神奈川の東海大相模中、東海大相模高、東海大を経てパーク24。11年世界ジュニア選手権制覇。13、17、18、22年世界選手権優勝。16年リオデジャネイロ五輪銅、21年東京金メダル。左組み。得意技は肩車。趣味はゲーム。座右の銘は「信念」。家族は妻、長男、長女、次女の5人家族。160センチ。


