<名古屋ウィメンズマラソン>◇11日◇ナゴヤドーム発着(42・195キロ)

 尾崎好美(30=第一生命)の執念が実った。昨年8月の世界選手権、同11月の横浜国際に続く選考レース3度目の挑戦で、アテネ五輪金メダルの野口みずき、元日本記録保持者の渋井陽子、世界選手権5位の赤羽有紀子ら強敵を退け、日本人トップの2時間24分14秒の2位に入った。五輪最終選考レースを制し、ロンドン五輪への切符をほぼ手中に収めた。これで男女の選考レースはすべて終了。今日12日に行われる日本陸連の理事会を経て、午後3時半から都内のホテルで五輪代表の男女各3選手が発表される。

 崖っぷちの尾崎が、尾張・名古屋で豪華絢爛(けんらん)なサバイバルレースを制した。尾崎、赤羽、中里、伊藤の世界選手権組に、野口、渋井ら実力者が絡み、ロンドン切符をかけた最後の大一番。勝負は30キロすぎから目まぐるしく動いた。33キロすぎから赤羽が、34キロから野口が後退。次々とトップが入れ替わると、35・4キロでマヨロワが先頭へ。これに尾崎、中里が続き、日本人トップへ、女の意地と意地がぶつかった。

 昨年11月の横浜国際。尾崎は終盤、木崎と激しく競り合った。先にスパートを仕掛けながら逆に残り600メートルで逆転を許し、涙をのんだ。その教訓を生かした。中里との一騎打ちに、焦らず、冷静に勝負どころを待った。そして残り700メートル。こん身のスパートで振り落とした。持ち前の一瞬の切れで、勝負を決めた。両手を広げてゴール。少し遅れてやってきた山下監督と抱き合い、笑った。

 尾崎

 タイムは目標より低いけど、日本人1位になれたということと、オリンピックに出たいという気持ちを表せた。そこを評価してもらいたい。こういうメンバーで名前負けしそうなとこもあったけど、ここで勝ったことで、文句なしに勝ったと言える。

 くしくも3月11日のレース。昨年新設された「名古屋ウィメンズ」第1回大会は、東日本大震災で中止となった。それだけに尾崎の感慨もひとしおだ。「1年たって忘れかけてしまうこともあって。マラソン大会が開催され、そこに出場できるのは当たり前ではない。感謝の気持ちと、こういう舞台を走れたことをうれしく思う」と話した。

 まさに三度目の正直だ。昨年8月27日の世界選手権、11月20日の横浜国際、今回の名古屋と6カ月半で3度走った。横浜で2位に終わると涙で「また走るんかい、と言われそうなので考えてない。オリンピックがすべてじゃない」。だが本音は違った。尾崎は「監督から『ほかの舞台よりも特別なものだよ』と言われてきた。自分も感じてみたい」。その思いを打ち消すことはできない。12月下旬、過酷な再挑戦を決意した。

 山下監督は「指をくわえて見ているより、やってよかった。執念というか、あきらめたくない思いが実を結んだ」。横浜では、食事の管理不足からレース前に貧血に陥った。その反省から今回は食事から体重、すべてに事細かくチェック。名古屋入りすると、山下監督は第一生命名古屋支社を訪れ、沿道応援を要請。社員ら約1000人が尾崎の背中を後押しした。

 後は今日12日の代表発表を待つだけだ。山下監督は91年世界選手権で銀、翌年バルセロナ五輪は4位だった。同じ道をたどる尾崎も09年の世界選手権で銀に輝き、次は五輪の表彰台を狙う。「オリンピックに選ばれたら、タイムも順位もいい結果を出せるようにレベルアップしたい。今回は本当に自信になった」。あきらめの悪い女、尾崎が力でロンドンへの扉をこじ開けた。【佐藤隆志】

 ◆尾崎好美(おざき・よしみ)

 1981年(昭56)7月1日生まれ、神奈川県足柄上郡山北町出身。山北中-相洋高を経て00年に第一生命入り。08年3月の名古屋国際女子で初マラソンで2位入賞。2度目となった同年11月の東京国際女子に2時間23分30秒で初優勝。09年8月の世界選手権(ベルリン)銀メダルも、昨年8月の世界選手権(韓国・大邱)は18位。身長154センチ、体重41キロ。