<名古屋ウィメンズマラソン>◇10日◇ナゴヤドーム発着(42・195キロ)

 04年アテネ五輪女王の野口みずき(34=シスメックス)が、5大会ぶりの世界切符を有力にした。03年パリ大会から10年。モスクワに立てば、日本女子マラソン界最長のブランク克服になる。不屈の34歳は「やっぱり走るのが好き。まだ世界をあきらめられない。できればずっと日の丸を目指してやっていたい。まだまだいけるという手応えがつかめたので、まだ終わりません」と笑った。

 レースを支配した。ペースメーカーの左横に位置して動かない。時折、前に出て、先頭集団を刺激する。どんな強豪が相手でも、マークはしない。自分のペースを刻んで、レースを動かす。35キロ過ぎで木崎、ディババに遅れたが、1年ぶりのマラソンで3位。目標だった2時間23分台にわずか6秒届かなかったが「内容的には全盛期と同じように強気な走りができた。70~80%まで戻っている」。

 09年5月、京都。所属先の事務所で広瀬監督に引退を申し出た。08年北京五輪を欠場した左足付け根のけがが長引く。「お前がやめるならおれもやめる」という言葉で現役続行。4年4カ月の空白を乗り越え昨年名古屋で復帰。6位で号泣した1年前を振り返って、この日は「もう絶対、泣かない」と誓って力走した。

 転機があった。今年1月に「完治はしない」と診断されていた左足付け根の炎症が消えた。「奇跡的にゼロになった。こんなにうれしいことはない。故障で悩む若い選手に、絶対治らないということはない、と伝えたい。年齢は関係ない」。現在の目標タイムについて「広瀬監督の自己ベストを抜くことが目標」とニヤリ。同監督の2時間18分55秒は女子の日本新記録だ。

 前例のないブランクを克服する復活劇に向けて、足がかりはできた。世界選手権について「(選出されれば)また世界中の人たちに私の走りを見せたい」。35歳で迎えるモスクワの夏を思い描いた。【益田一弘】

 ◆世界選手権の最長ブランク

 浅利純子は93年シュツットガルト大会と99年セビリア大会、土佐礼子は01年エドモントン大会、07年大阪大会に出場。ともにブランクは3大会、6年ぶりだった。野口が13年モスクワ大会に出れば、03年パリ大会以来5大会、10年ぶりのカムバックになる。

 ◆野口(のぐち)みずき

 1978年(昭53)7月3日、三重県・伊勢市生まれ。中1から陸上を始める。宇治山田商高から97年ワコールに入社、99年グローバリー、05年シスメックスに移籍。02年名古屋国際女子でマラソン初挑戦初優勝、04年アテネ五輪金メダル獲得、07年東京国際女子優勝。自己ベストは05年ベルリンでの2時間19分12秒(日本記録)。151センチ、40キロ。<野口の苦闘メモ>

 ◆07年11月18日

 東京国際で2時間21分37秒の大会新で優勝し北京五輪切符。

 ◆08年8月4日

 スイス合宿中に左足痛。極秘帰国し左太もも肉離れと診断。

 ◆同8月12日

 レース5日前に北京五輪欠場発表。

 ◆09年3月20日

 左太もも肉離れの再発が判明。

 ◆10年10月24日

 実業団女子駅伝西日本大会で本格レース復帰。練習不足で3区10・5キロを区間5位。

 ◆同12月19日

 全日本実業団対抗女子駅伝で体調不良となり区間20位。レース後は病院へ搬送。左足首内側付近の疲労骨折が判明し全治5、6週間と診断。

 ◆12年1月19日

 左太もも裏の炎症で大阪国際女子マラソンを欠場。

 ◆同3月11日

 名古屋ウィメンズで4年4カ月ぶりにマラソン復帰も6位に終わる。

 ◆同月27日

 大阪国際を調整不足のため欠場した。