「ウエアラブルコンピューター」をご存じだろうか。身体に着用できる小型コンピューターのことだが、その技術革新は目覚ましく、スポーツを取り巻く環境を大きく変えそうな勢いだ。テクノロジーはスポーツにいったい何をもたらすのか-。責任編集の為末大(35)が、その未来について考えた。

 2020年の東京五輪・パラリンピック開催にわく一方で、もう新しい動きがある。スイスの研究チームが16年に「サイバスロン(Cybathlon)」という大会を計画している。サイバスロンとは、パラリンピックの領域にロボティクス技術の使用を認める、つまりサイボーグの大会だ。

 例えば義足選手の足の部分に機械をはめ込んで行えるレースや、脳にシートを張って脳波で器具を制御するような競技も考えられている。16年を開催初年として計画しているのだが、おそらく次の狙いは20年の東京で開催することだろう。

 一方、日本でも慶大大学院メディアデザイン研究科(KMD)を中心として、サイボーグオリンピックを想定したイベントが開催された。ここにきて、人体と機械との融合がさまざまなところで注目されている。

 サイボーグというと大げさだが、人体拡張という点では、世界でかなり早い段階で取り組んでいたのがソニーの「ウォークマン」だった。当時は聴覚にテクノロジーを組み込むものだったが、今はグーグルグラスで視覚を拡張するようなものが生まれ始めている。

 3月、東京・六本木で「Wearable

 TECH

 EXPO

 in

 TOKYO

 2014」が行われた。グーグルグラスに代表されるような身につけるコンピューターを「ウエアラブル」と定義し、世界中からさまざまなウエアラブルコンピューターと開発者が集まり、さまざまな意見を交換した。私は、20年東京五輪・パラリンピック、そしてスポーツは一体どうなっているのだろうか?

 ということについて語るセッションに、義足エンジニアの遠藤謙氏(ソニーコンピューターサイエンス研究所)とともに登壇した。

 いくつか驚いたことがある。1つは、もうウエアラブルコンピューターはTシャツをコンピューティングするようなものも出てきていて、着るだけで心拍数や体温などを取れるものが既にできている。少しチップを組み込まないといけないなど、競技に使いにくい点はあるが、20年には選手のユニホームで身体情報を取れるようになっている可能性がある。観客がマラソン選手の体温や脈拍の様子から、まだいけそうか、それとも限界か、などの情報を手に入れることも可能だ。チーム戦術の面からも、監督が選手の心拍数や血中乳酸値を測ることができれば、いつ選手を交代させるべきかもより明確になる。

 また、観客の視点もずいぶん変わりそうだ。例えば観客自身がLEDなどが組み込まれたうちわを持っているとしたら、スタジアムの観客が演出の一部になることも考えられる。今もスタジアムで行うウエーブなどで試合を盛り上げることに貢献しているが、さらに進展してサッカーで「GOAL」という文字を観客席から出すこともあり得る。

 セッションでは遠藤氏が義足作りの話と、これからパラリンピックの世界はどうなっていくのかという話をした。ラーム・マーカス(ドイツ)という義足の走り幅跳び選手がいる。彼の自己ベストは7メートル95、健常者の日本記録が8メートル25と、既にあと30センチまで迫っている。ここ1年で自己ベストを急激に伸ばしていることを考えると、20年に幅跳びは五輪を超えている可能性が高いだろう。100メートルはまだ五輪選手には勝てないが、30年あたりになるとわからない。

 パラリンピアンは障害者のアスリートで、一見すると四肢(しし)を欠損しているように見える。けれども見方を変えると、彼らは拡張するスペースを持っているともいえて、そこにどんなものをはめ込むかによってパフォーマンスが変わってくる。今はグラウンドから遠ざかってしまったが、両足義足のランナー、オスカー・ピストリウス(南アフリカ)がもし競技を続けていたら、いったいどこまでいったのだろうか。

 3Dプリンターの登場によって、随分とプロトタイプ(原型)が作りやすくなった。たくさんの義足を仮に作ってみて測定をしていくことで、より高度な義足が生まれていくだろう。素材やテクノロジーの進化も義足の進歩を後押しする。遠藤氏は、ゆくゆくパラリンピアンはオリンピアンを超えていくだろうと話した。

 当然F1レースのように義足の性能がよくなれば、それを乗りこなす側の選手の負担も大きくなるが、今は身体能力に恵まれたモチベーションの高いパラリンピアンが登場し始めている。それに高度なレベルで競技をするパラリンピアンたちから、逆に義足作りに要望がくることも考えられる。そうして「設計→実践→フィードバック→改善」のループ(繰り返し)が続けば、パラリンピアンが使用するさまざまな用具はどんどん発展していくだろう。

 F1レースはあの勝負の舞台で徹底的に技術が突き詰められることで、いわゆる普通の乗用車に技術が転用され、どんどんと燃費効率や安全性が高まっていったという経緯がある。同じようにパラリンピックがF1の役割を果たし、どんどんと競技が高度になっていくことで、開発された用具が今後、福祉用具の開発に応用されることも考えられる。世界中が高齢化していくことを考えると、パラリンピックの役割はもっと大きくなっていくだろう。

 遠藤氏のプレゼンの最中に、彼の恩師でありマサチューセッツ工科大メディアラボ教授のヒュー・ハー氏の言葉に目が留まった。「人間に障害はない。あるのはいつも技術の欠如だ」

 人間は眼鏡を開発し、近視を克服した。同じように技術が身体的な障害をただの特徴に変えてしまうということは、これから技術の発達が目覚ましい時代に入ることで、もっとたくさん起こり得るだろう。

 私が現役の頃、恥ずかしながらパラリンピックにはさほど注目して見ていなかった。五輪とパラリンピックは文部科学省と厚生労働省と管轄が違い、選手たちが交流することもなかった。ちょうど07年頃だったろうか。海外のとあるレースで、バスの中で日本人の義足選手と乗り合わせた。山本篤選手という大腿(だいたい)切断のカテゴリーの選手だ。彼から健常な足と義足の使い方の違い、スタートの仕方などの説明を受けて、漠然とパラリンピックの世界に興味を持った。

 12年のロンドン五輪をきっかけに、パラリンピックに注目する動きが高まっている。新しいタレントの発掘方法の欠如、強化システム、コーチ不在などの問題も山積しているが、今後少しずつパラリンピックは前に進んでいくだろう。

 また、ウエアラブルコンピューターの世界もどんどん広がっていく。50年後、私たちは自分の身体や、身体の範囲というものの境目がもっと曖昧になっているかもしれない。自動運転される車に乗ったり、見たものすべてがITネットワークに保存される眼鏡や、iPS細胞で再生した手足で競技に参加する選手も出ているかもしれない。

 さまざまな機械が発達し、便利になる一方で「私たちはそもそも生き物である」ということを、私はより強く意識するようになると考えている。生物には動きがあり、流れがある。新陳代謝をし、移動するように生物は進化している。

 テクノロジーの発達で不便が取り払われた未来でも、きっと人間は走り、躍動しているだろう。なぜならば動くこと、それそのものが私たちの進化の方向であり、それがゆえ、私たちに「今、自分は生きている」と実感させることに他ならないからだ。(為末大)

 ◆為末大(ためすえ・だい)1978年(昭53)5月3日、広島市生まれ。広島皆実高-法大。男子400メートル障害で世界選手権2度(01年、05年)銅メダル。五輪は00年シドニー、04年アテネ、08年北京と3大会連続出場。自己ベストの47秒89は現在も日本最高記録。現在は社会イベントを主宰する傍ら講演活動、執筆業、テレビのコメンテーターなどマルチな才能を発揮。爲末大学の公式サイトは、http://tamesue.jp/