<テニス:全米オープン>◇第10日◇3日(日本時間4日)◇米ニューヨーク・ナショナルテニスセンター◇男子シングルス準々決勝

 世界11位の錦織圭(24=日清食品)が、戦後初の4大大会ベスト4に進出した。今年の全豪覇者で同4位のスタニスラス・ワウリンカ(29=スイス)に3-6、7-5、7-6、6-7、6-4の4時間15分のフルセット勝ち。全米では1918年(大7)の熊谷一弥(くまがい・いちや)以来96年ぶり、4大大会では33年(昭8)ウィンブルドンの佐藤次郎以来81年ぶりの4強入りとなった。

 「庭球界の巨星」熊谷の長男で、都内在住の一夫さん(86)は「父の名前が出てくるとは予想もしていなかった」と驚きながら「今の時代とは違うし(錦織との比較は)恐れ多い」と続けた。

 熊谷は1890年(明23)に福岡県大牟田市で生まれた。小学校時代は往復2時間をかけて歩いて登下校し、足腰が鍛えられたという。テニスとの出会いは偶然。小学生のとき球拾いを手伝っていると、メンバー不足でコーチから「お前がラケットを振ってみるか」と誘われた。

 慶大で硬式テニスに転向。最初の国際試合はフィリピンで、猛暑の中で勝ち進んだ。暑さに自信を持ち、暑い日の試合では「自分が勝つ」と宣言した。三菱銀行入行後はニューヨーク支店勤務の傍ら米国で活躍。各地で勝ちまくり「略奪するやつ」とのニックネームまで得た。ただ日本に持ち帰った30個以上の優勝カップは戦争ですべて燃えた。

 20年アントワープ五輪では日本スポーツ史上初のメダル(シングルスとダブルスで銀)を獲得。一夫さんは「昔話は全米の話ではなく、五輪銀メダルのこと。“なぜ金メダルを取れなかったのか”といつも残念がっていた」と懐かしんだ。