<柔道:世界選手権>◇26日◇女子48キロ級◇オランダ・ロッテルダム

 【ロッテルダム=佐々木一郎】女子48キロ級の福見友子(24=了徳寺学園職)が、初の金メダルを獲得した。準決勝では、北京五輪で谷亮子(33)に勝ったドゥミトル(ルーマニア)に1本勝ち。決勝はブランコ(スペイン)に優勢勝ちを収め、世界の頂点に立った。谷に2度も勝った実力者も、実績でかなわず、たどり着けなかった世界舞台。妊娠休養中の第一人者に代わり「福見時代」の到来を告げた。

 事実上の決勝は、準決勝だった。ドゥミトルは北京五輪で、微妙な判定の末に谷を下し、金メダルに輝いた実力者。福見は3分12秒、小外刈りで相手をたたきつけた。決勝はブランコから、背負い投げで技ありを奪って優勢勝ち。試合終了の直後、両手を1度だけたたき、控えめに喜んだ。

 福見

 何が何でもというか、死ぬ気でやりました。自分自身がここを目指してやってきた。こんなチャンスはない。絶対に自分でつかみ取るつもりでした。

 生き残るには、金メダルしかなかった。2月に妊娠を発表したライバルの谷が、現在は休養中。銀メダル以下なら、谷待望論がわき上がりかねない。見えない敵との戦いにも勝った。福見の力を、世界の柔道界にアピールした。

 谷の連勝を「65」で止めたのは、16歳だった02年のこと。その後は、注目されて成績が上がらず、1回戦負けが続いたこともあった。07年の選抜体重別では、2度目の勝利を挙げながら、実績重視の選考により世界選手権(ブラジル)の代表にはなれなかった。この7年間、谷とは比較され続け「昔からなので、今ではもう得意分野です」と笑えるほどになった。

 柔道を始めたのは、小学生の時。92年バルセロナ五輪銀メダルの谷(当時は田村)を見た母早苗さん(54)が「こんなに小さい選手でもメダルに届くんだ」と驚き、勧められた。負けず嫌いは、当時から。負けると、畳を下りずにその場で泣いてしまい、周囲を困らせる子だった。

 10代で世界に出た谷に対し、待って待たされた福見は24歳になった。耐え抜いた経験からか、浮ついた雰囲気はない。表彰台でも、表情を和らげながらも、笑わなかった。「笑うの得意じゃないんで…」。苦労が多いほど、安っぽくは喜べない。「感激しました。やっぱり一番上が、いいなと思います」と言葉に実感を込めた。