甲子園で一番たくさん勝った高嶋仁監督が 野球少年と向き合ってみたら…「君たち、野球は好きかい?」

智弁和歌山・高嶋仁名誉監督の今を追いかけました。出場38度、通算68勝は甲子園最多。高校野球ファンなら誰しも思い浮かべる「仁王立ち」からは想像がつかない、子どもたちの前で見せるくしゃっとした笑顔。その裏にたたえる、野球の将来への憂いと愛情。

ストーリーズ

保坂恭子

「ねえ君たち、野球は好きかい?」 

甲子園に春夏通算38度出場。智弁和歌山の高嶋仁名誉監督(75)が、笑顔で問いかける。 

相手は、野球教室を見学に来た小学校低学年の子どもたち。目の前にいるジャージー姿の男性が、あの名将と知ってか知らずか。くったくのない笑顔で「すきー!」と手を挙げる。 

高嶋さんは、くしゃっと表情を崩して、こう続けた。 

「じゃあ、監督とかコーチがもっと優しかったら、もっと野球すき?」 

きょとんとした表情になる子もいれば、ちょっと手を挙げそうになる子も。そんな様子を見て、高嶋さんはうんうんとうなずいた。野球教室や講演会で各地を訪れると、子どもたちに欠かさず聞いているという。 

野球教室でティー打撃の指導をする高嶋仁智弁和歌山名誉監督=2021年

野球教室でティー打撃の指導をする高嶋仁智弁和歌山名誉監督=2021年

「親がやれって言うから(やる)とか、そんな子がけっこう多いんですよ。『指導者がもう少し優しかったら好きか?』という聞き方をすると、バーッと手を挙げることもあります。ほんまに(野球が)好きだという子は、そんなにいないんですよ」。それは、嘆きにも聞こえた。 

野球が好き、というのは原点だ。野球教室を開催するときは、小学校の高学年、低学年、幼稚園と年齢ごとに3グループに分ける。盛り上がるのは、どの年代なのか。 

「あのね、全国あちこち行っていますけど、盛り上がるのは幼稚園なんです。柔らかいボールを使って、打てるとものすごく盛り上がる。上にいくにしたがって、だんだん(盛り上がりが)減ってくるんですよね」 

18年夏に、智弁和歌山の監督を退任。全国の子どもたちと接する機会が増えた。「楽しい」と思っていた幼稚園生が小学生、中学生となるにつれて、野球から離れていく。他のスポーツを始めたり、勉強が大変になったり。

第66回センバツ高校野球で優勝し、胴上げされる智弁和歌山・高嶋仁監督=1994年

第66回センバツ高校野球で優勝し、胴上げされる智弁和歌山・高嶋仁監督=1994年

年齢が上がるにつれて、練習も指導も厳しくなる。だんだんと、野球を始めた頃の楽しさが薄れていってしまう。結局は、野球人口の減少につながっていく。

その厳しい状況を目の当たりにして、甲子園で歴代最多の68勝を挙げている名将は感じることがあった。

「だから、その楽しい気持ちを持ち続けてほしいんですよ。それは本人じゃない、指導者なんです。指導者が、勝とう勝とうとして野球を嫌いにさせているんですよ。それは感じます。やっぱり勝たんがために言うてしまう」。

「勝負というのは、高校野球だけでええ」

甲子園を、日本一を目指して、長年厳しい指導をしてきた。どうしても高校野球は、勝利至上主義になる。だから「勝負というのは、高校野球だけでええと思うんです」と提言する。

「少年野球のときは、勝負じゃなしにみんなができる、みんなが楽しいという、それがもっと必要やと思う」。 

野球教室では、指導者の目線を感じながら動く。「高嶋さんが何を教えるのか」と興味深く見ている指導者にも伝わるように、子どもと接する。 

素振りをしている選手に近づくと「ちょっと気になるところあるんやけど、言ってもええか?」と聞く。いきなり体を触ることはしない。

野球教室でキャッチボールの指導をする高嶋仁智弁和歌山名誉監督=2021年

野球教室でキャッチボールの指導をする高嶋仁智弁和歌山名誉監督=2021年

強制的な言い方もしない。「こうせい、ではなくて、こういうやり方もあるよ」という接し方。頭ごなしに否定はしないで、子どもが興味を持つような、ちょっとやってみようかなと思ってもらえるような指導を心がける。見ている指導者にも伝わるように、声をかける。 

昨夏の甲子園の地方大会に出場した学校は、全国で3603校。連合チームも、年々増えている。「僕が(監督を)やっていた頃は(出場校)4000なんぼあったんですよ。これはたまらんですね。こんだけ減ってくると」。 

好きだから、続けられる。好きだから、続けたいと思ってもらえる。何度も、子ども1人1人に「野球好きになってよ」と、やわらかい笑顔で話しかける姿があった。純粋な気持ちが、何よりの原動力になる。

◆高嶋仁(たかしま・ひとし)1946年(昭21)5月30日、長崎県生まれ。海星(長崎)で外野手として夏の甲子園に2回出場。日体大卒業後、72年から智弁学園監督、80年から智弁和歌山監督。94年春に甲子園で初優勝し、その後97年、00年夏に全国制覇。主な教え子はヤクルト武内晋一、日本ハム西川遥輝ら。