【家族の力・中村剛也】家訓は「太っている=飛ぶ」 肥満を注意され「先生にとやかく言われなくても」と真っ向否定の母

太っているように見える力士も、押してみたらガッチガチと言います。どこまでもボールをかっ飛ばす102キロの体に詰まった、中村家のポリシーと愛情。とにかくかわいい幼少期の写真もお楽しみください。(2011年12月14日掲載。所属、年齢などは当時)

傑作選

柴田猛夫

「おかわりくん」といえば、西武中村剛也内野手(28)。ここ4年で通算3度目となる本塁打王を獲得したが、飛ばない統一球が導入された今年の48発は、特に称賛を集めた。名だたるスラッガーが対応に苦しむなか、中村の打球と飛距離は異彩を放った。大阪・大東市在住の父重一さん(59)母久美さん(57)の話から、スラッガーのルーツに迫った。

■父もブレなし「細い子は たかがしれてる」

野球の華は、ボールを遠くに飛ばすこと。中村親子の考えは、幼少から一貫していた。父から口癖のように言われた言葉がある。

重一さん ホームランを打てるバッターになれ。体が大きいから、ボールは飛ぶんやぞ!

土建業「中村組」を経営する父は、大阪・大東市の少年野球チーム「寺川ブラックス」で監督を務め、今年で23年になる。同じ町内の西武宮地克彦コーチ(40)が最初の教え子。

父が指導するグラウンドに付き添った剛也は、5歳から野球を始めた。やがて4番・捕手が定位置となる。

重一さん 小さいころも今の体形のまんま。構えや打ち方もほとんど変わらない。長距離打者でしたよ。太ってる子は打球がよう飛ぶ。細い子は、たかがしれてる。ライナーの速い打球は打てても、飛ばせない。剛也も大きかったけど、うちのチームには2人か3人いた。大きい子が来てくれると、うれしくてね。まわりからは「寺川部屋」ってよく言われてましたよ。

1歳。父重一さんに抱っこされる

1歳。父重一さんに抱っこされる

野球部が相撲部屋に例えられることを心から喜ぶ父。その教育方針は、両親ともブレがなかった。小学校低学年の時、剛也の肥満を注意された。学校から呼び出しを受けた母は、真っ向から反論した。

久美さん うちにはうちの育て方があります。運動もしてるし、大きくしようと思って育ててます。学校の先生にとやかく言われなくても大丈夫ですから、もう呼び出さないでください、と言いました。肥満児だから、お菓子がどうのとか。太ってるから呼び出されてるんだと、剛也が見られるのが嫌だったんです。太いからやせろとは言っても、細い子に太れとは言わないでしょう。それって差別じゃないですか。

■7人家族で毎日食べる米1升

ネガティブにとらえられがちな「太っている」ことを肯定する両親の存在は、精神的に大きかった。コンプレックスを感じることなく、伸び伸びと育った剛也は「太ってて嫌だったことも、いじめられたこともない」と言う。

重一さん デブでも、動けるデブなら構わない。小さいころから、動きは機敏だった。小学生ではホームランが年に1本出るか出ないかというグラウンドで、3打席連発でスタンドに打ったことがあった。まわりから認められてたし、からかわれることはなかった。

見た目で人を判断せず、何ができるかを大事にした。打つだけと思われがちだが、守備のフットワークはいい。走塁は「チームで一番うまい」と西武渡辺監督が認めるほどだ。「遅い」「鈍い」といった巨体のイメージをくつがえす身軽さも兼ね備えている。

久美さん 生まれた時から大きかったです。特別食べたというよりは3食をしっかりとりました。足りないと、食事前後に菓子パンを食べたり。3個パックのプリンは全部おれのもんだって必ず1度に食べましたね。試合の前には、験担ぎでトンカツが定番でした。

西武の新入団発表で=2001年12月13日

西武の新入団発表で=2001年12月13日

4295グラムで生まれ、幼稚園で足のサイズが20センチを超え、げた箱に靴が入らなかった。祖父母、姉、弟と当時7人家族で、1日1升の米を消費した。

重一さん 夏は油ものが食べにくい時期。それを平気で食べる体力があった。夏やせして、成績を下げることはない。野球を本格的にやりだして腹が減って、動いた以上に食べるから大きくなった。自分でほしいだけ食べて、今の体ができた。無理に食べさせたことは1度もない。しっかりごはんを食べて、基本的な体の柱が太くなったんです。

体重こそ、本塁打を打つための最大の武器。小学校で72キロ、中学校で85キロ、高校で95キロを計測し、現在は105キロ。年齢とともに巨大化する肉体は、今も中村家の教えが受け継がれていることに他ならない。

重一さん 私も100キロ近い体で、草野球しかやってないけど打球は飛びました。プロでは、ドカベンとかデーブ大久保さんを見て思ったし、往年の田淵さんは太ってボールがさらに飛ぶようになった。ホームランを打つのは、テクニックとパワーの融合。技術はまだまだでも、力でカバーできるというのが持論です。

■自宅から車で10分 大阪桐蔭へ

筋力トレではなく、バットを振ることで体を鍛えた。ぽっちゃり体形には筋肉のよろいが隠されている。

重一さん 高校の同級生で太ってる子が数人いたんです。阪神の岩田くんもそうだったけど、高校に入ったら練習が厳しくて、みんなの体がすぐにグッと絞れた。剛也だけは、そのままの体形だった。つくられた太さじゃなく、体の芯から太い。今の体幹の強さに出てるのかなと思います。

入学した大阪桐蔭高は、自宅から車で10分ほどの距離。父は仕事を早めに終わらせ、グラウンドに足を運ぶのが日課だった。高校卒業まで14年間、野球をする姿を見守り続けてきた。

重一さん 小学の時は自宅の屋上にネットを張って、300~400はティー打撃をやりました。僕ができない時はお母さんが投げて、ほぼ毎日でした。フォロースルーをとにかく大きく、ボールをバットに乗せて、いつまでもボールとバットがひっついてる感じで打てと。よその子よりは練習してたと思います。親が一生懸命やるのは当たり前。結果を出すために、何をするか。グラウンドだけじゃなく、家でどれだけやれるかだと思います。

現在は内野手だが、守備の要となる捕手の経験がプロでも生きている。

優勝旅行で麻里恵夫人にトロピカルドリンクをこぼされ寂しそうな表情=2008年

優勝旅行で麻里恵夫人にトロピカルドリンクをこぼされ寂しそうな表情=2008年

重一さん パスボール、配球ミスとか、失敗すると、しょっちゅう怒りましたね。なんでそんなとこ投げさすねんって。家に帰っても言われて、つらかったと思いますよ。打っても、あまりほめなかった。打って当たり前という感覚でいました。それだけのことを練習でやってるんだから。打てなかった時はバット振っとけって言うと、家の前でずっと素振りしてましたね。

プレースタイルは、感情を表に出すことが少ない。ダイヤモンドを回る時も「恥ずかしいから」と下を向いて走る。性格は昔からマイペースだが、困らせるようなことはなかった。

■そろばん、習字、スイミング

久美さん 親の言うことはよく聞いてました。野球の練習は水曜、日曜しかなかったので、塾とか習い事は1週間びっちりやらせました。そろばん、習字、スイミング。塾を休みたいって言ったら、じゃあ野球もやめなさいって言って。野球がやりたかったから、他もサボらないで小学校6年間ちゃんと続けましたね。

重一さん 性格は見ての通り、優しい。ひとつ芯が通ってて、頑固なところがある。人さまに迷惑をかけることなく、まわりとうまいこと合わせてできる普通の子でしたよ。野球以外で怒ったのはほとんどない。育てたというより、勝手に育ったという感じ。プロの華やかな世界にいる姿は、親として誇りに思います。

おなじみのショット。伸び伸び育ち、稀代のスラッガーに成長

おなじみのショット。伸び伸び育ち、稀代のスラッガーに成長

飛ばない統一球が導入された今季、他の追随を許さない48本塁打を放った。力士体形でアーチを量産する異色のスラッガーが、野球界で認知され、今では尊敬のまなざしを集めている。

重一さん 昨年40発打った人が20発とかに減ってる。ホームラン王を3度とった中でも、今年は特にうれしかった。ヒットを稼ぐ首位打者に、これからホームランを打てといってもできない。打率が上がってくれば、3冠王に一番近いんじゃないかと思ってます。

◆中村剛也(なかむら・たけや)1983年(昭58)8月15日、大阪生まれ。大阪桐蔭で高校通算83本塁打を放ち、01年ドラフト2巡目で西武入団。初タイトルは08年の本塁打王。09年と11年に、本塁打と打点で2冠を獲得。家族は元モデルの麻里恵夫人と2男。175センチ、105キロ。右投げ右打ち。背番号60。血液型O。実弟の光佑は滋賀の高島ベースボールクラブで主将。