【森慎二さんを悼む】ピンと伸びた左足から剛球…獅子党に愛され、仲間に愛されたブルペンの番人

西武の投手コーチを務めていた森慎二さん。2017年6月28日、多臓器不全のため42歳の若さで亡くなりました。ブルペン担当として、シーズンを戦っていた矢先の急逝。涙を隠さない選手たちの姿は、深い人望の発露でした。選手時代の番記者が悼みます。(2017年6月30日掲載。年齢、所属など当時)

傑作選

山内崇章

ベンチに掛けられた森コーチのユニホームに手を合わせ引き揚げる西武辻監督=2017年9月10日

ベンチに掛けられた森コーチのユニホームに手を合わせ引き揚げる西武辻監督=2017年9月10日

◆森慎二(もり・しんじ)1974年(昭49)9月12日、山口県生まれ。岩国工から新日鉄光、新日鉄君津を経て96年ドラフト2位で西武入団。プロ1年目からリリーフで活躍。02年にはリーグ最多の71試合に登板し32ホールドをマーク。03年も26ホールドで2年連続最優秀中継ぎ投手。06年1月にポスティングシステムで大リーグのデビルレイズ(現レイズ)に移籍。同3月20日、マイナーリーグのフィリーズ戦に先発し、3球で右肩を脱臼。関節唇損傷で回復が遅れ、大リーグ未登板のまま07年6月に解雇。09年、BCリーグ・石川の選手兼コーチとなり10年から監督。15年に西武2軍投手コーチ就任。16年途中から1軍コーチに昇格した。189センチ、90キロ。右投げ右打ち。

首脳陣に睨み 続投要求

寡黙だが、負けん気の強い人だった。

力勝負でねじ伏せる投球スタイル同様、練習も決めたことは最後までやり通し、首脳陣にも先輩にも是々非々で主張する人だった。

担当した02年は、クローザーを豊田清(現巨人投手コーチ)に譲った。90勝してダントツのリーグ優勝に貢献した年だった。

「豊田さんが安定して、ベンチの信頼を得られていた。僕は僕にできることをやります。だけど8回だけは誰にも投げさせない」

守護神を明け渡した現実を聞くと、思い詰めるように答えた。8回に走者を出して左の強打者が来ても「オレが投げる」と首脳陣をにらんで続投を求めたこともあった。

レイズ時代。キャンプでバント処理の練習=2006年2月19日

レイズ時代。キャンプでバント処理の練習=2006年2月19日

06年、デビルレイズに入団したが、シーズン前に右肩脱臼の憂き目にあった。帰国後、山なりのボールしか投げられない森さんのキャッチボール相手をすることがあった。

ダイナミックなフォームに恐怖感を覚えたが、ボールが来ない。それでも「確実に距離が延びているし、軌道も低くなってきた」と言い、必ずマウンドに戻るという意志を感じた。強い男だった。

◆西武辻監督 思いを持って、戦っていくしかない。我々は振り返れない。勝つためにやるしかない。

◆中日森監督 俺の背番号(11番)を付けて、同じ『S・MORI』で、抑えもやらせた。同じ釜の飯を食い、優勝争いもした。交流戦のときに会ったのが最後。頑張りますと話していたのに…。

◆楽天岸 まだ小さいお子さんもいらっしゃって、成長を見たかっただろうな。僕も同じくらいの子がいるので、すごくつらいです。

◆西武潮崎2軍監督 こういう別れはつらい。森がコーチに来てくれたおかげで(チームに)いい形を残してくれた。

◆ソフトバンク松坂 今もそうだが実感がない。年も近かったので、入団した時から弟のようにかわいがって面倒を見てもらったので。今も信じられない。まだ、受け入れられない。

◆ロッテ涌井 ランニングの時に一緒に話してくれて、年は離れていますけど、先輩というより、お兄ちゃんみたいな存在。そういう人がいなくなって本当に寂しい。ゆっくり休んでくださいって言いました。