【38年前&1年前の今日:1984年&2021年8月7日】ロスと東京で金メダル 日本野球の記念日

NHKで解説をしていた和田一浩さん。静かな男泣きで「いろんな人たちが、受け継いできたわけですがね。そういったものが…良かったと思います」と絞り出しました。あれから1年、公開競技だったロス五輪金からは、38年。日本の野球界にとって、8月7日は特別な日になったのです。(2021年8月8日掲載。所属、年齢などは当時)

傑作選

広重竜太郎

日の丸を掲げて

日の丸を掲げて

侍ジャパンが、歓喜の頂点に立った。東京五輪の野球決勝で、日本が2―0で米国に競り勝ち、公開種目だった84年のロサンゼルス五輪以来、正式種目としては初の金メダルを5連勝で獲得した。17年に就任した稲葉篤紀監督(49)は、集大成のラスト一戦で歓喜の涙を流した。次回24年のパリ五輪では野球競技は行われない。長嶋茂雄氏、星野仙一氏ら球界の先人たちが目指した頂に、ついに立った。

稲葉監督 涙腺が決壊

表彰式が終わる直前、降り出した雨が金メダルをぬらした。終始、涙なく喜び合う若き侍たちに代わる、五輪に挑み続けた先人の歓喜の涙のようだった。長い旅路を終えた稲葉監督は、試合終了の瞬間から涙腺が崩れた。「みんなここまで一生懸命やってくれて、そういう思いが最後にグッときた」と浸った。

星野監督に金メダルを報告=2021年9月6日、愛知・あま市の瑞円寺

星野監督に金メダルを報告=2021年9月6日、愛知・あま市の瑞円寺

五輪の重みを受け止めてきた。00年シドニー五輪からプロに扉が開かれ、04年アテネ五輪以降はオールプロで臨んだ。だが金メダルを切望されながら届かない。長嶋監督が病に倒れ、自身も選手として仕えた星野監督が非難にさらされた。

ロス決勝の映像

「星野さんのお孫さんも、学校でいろいろ言われたと聞いた。自分の子どもも言われるかもしれない。僕は何を言われてもいい。選手は家族を犠牲にして日の丸を背負っている」。守り抜く覚悟を携えてきた。

かつて五輪の野球は日本の中心になかった。

1984年、同じ8月7日。ロサンゼルス五輪決勝。野球の母国、米国がその時も相手だった。5万8000人のドジャースタジアム。「ライフルで命を狙われる意識もあった」。当時のナインは言う。決死でつかんだ金メダルも、帰国した成田空港に喧噪(けんそう)は起きなかった。

ロス五輪の金メダルも8月7日だった。相手も同じ米国

ロス五輪の金メダルも8月7日だった。相手も同じ米国

後世に大きく伝わらない戦いが、原点となった。19年の年末。稲葉監督は1枚のDVDを手にした。30年以上前の映像は粗く、ノイズも交じる。映し出されたのはロス五輪決勝戦。優勝の瞬間は「勝てばああいう喜びが生まれる」と近未来を想像した。

金言 米国人の実況

球場にブーイングはなく、スタンディングオベーションに包まれた。米国人の実況は「野球にとって素晴らしい1週間だった」と国籍関係なく、たたえた。

「五輪の先に、野球に興味を持つ子どもを増やせるか。もう1度、野球をやってもらいたい。そんな時代が来ないかなと」。金メダルの先にある光景を追い求めた。

理想があるからこそ、信念は揺らがない。代表選考では、状態より「実績重視」と非難された。「結果が出なければ、何を言われても仕方ない」。実績重視は代表で苦楽をともにした「情」とも捉えられた。

用兵が光った稲葉監督。象徴の1人が伊藤大海。物おじしないマウンドさばきで終盤を守った

用兵が光った稲葉監督。象徴の1人が伊藤大海。物おじしないマウンドさばきで終盤を守った

だが、時には断も下した。巨人菅野は内定発表後の復帰戦でKOされ、復調が見込めなかった。電話をかけた。「焦らせてしまったかな。ごめんな」。最終的な辞退の決断は菅野の意向だが、右腕を使命感から解放させるために、促したともいえる。情と非情の狭間に立ち続けた。

伝統と感性の融合

苦悩の末に信じ抜いた侍たちは、頼もしかった。スクイズが想定された場面で、甲斐は強攻を、強攻の場面で坂本は犠打を、自ら稲葉監督に申し出た。

選手の多くが五輪野球を肌で知らない。会見で、96年アトランタ五輪銀メダルについて聞かれた山田は「4歳で覚えてない」と答え、山本は「僕はまだ生まれていない」と笑った。新しい世代がノビノビと、五輪で躍動する。「俺らがキュウキュウと考えているのに、何で選手たちは楽しんでやっているんだろう? すごいね」。指揮官の思いに選手の感性が融合され、歴史を塗り替えた。

菊池に金メダルをかけてもらう。チームの空気が伝わる瞬間

菊池に金メダルをかけてもらう。チームの空気が伝わる瞬間

無観客開催。歴史的瞬間に立ち会った人は限られた。だが東京五輪の金メダルは、これから多くの人の手に触れられ、愛(め)でられる。

メダルがもらえない稲葉監督も、菊池涼から首に下げられ、心地よい重みを感じた。永久に残る金メダルの手触りが、日本の野球への愛を深める。