8月の世界選手権男子やり投げで銅メダルを獲得した村上幸史(29=スズキ)が、23日のスーパー陸上(神奈川・等々力)に出場する。日本勢が世界大会の投てき種目でメダルを取ったのは、ハンマー投げの室伏広治(ミズノ)に次ぐ2人目。20日から「ヤリの村上」と題し、村上の素顔などを3回に分けて紹介する。

 8月23日に銅メダルを手にしてから約1カ月。ベルリンから帰国後、50件以上も取材が殺到したが、できる限り引き受けた。練習を撮影されたり、見られたりする機会も増えたが、これまで通りのマイペースを貫いている。

 村上

 やっぱり、僕らしさっていうのは、変えたくないです。イライラすることがないんですよね。何でですかね。田舎もんだからですかね。

 人口1800人の愛媛・生名(いきな)島で生まれ育った。村上姓が多いこの島で、村上は「幸史くん」と呼ばれてきた。こんな環境からか、元来の優しい性格は今も変わらない。中学時代は、剛速球で知られるピッチャーだった。名門・松山商、如水館からも誘われた。だが体育の授業で陸上を勧められ、今治明徳高に進学してからやり投げを始めた。

 村上

 ピッチャーには、あまりいい印象がなかったんです。ヒットはあまり打たれたことがないんですけど、押し出しで5~6点取られることもありました。そうすると、チームの雰囲気が変わってくる。迷惑はかけたくないなと思っていました。厳しい先生だったので、四球を出しても代えてくれない。ピッチャーとしては、性格的に向いていないとよく言われました。「素直すぎるから駄目なんだ」って。

 ノーヒットノーランは数回あるが、無四球試合は1度だけ。近年もスピードガンで152キロを計測したことがある。日大陸上部の小山監督は「野球を続けていれば、億を稼ぐ選手になっていた」と証言するが、村上は「それは、ないです」と控えめに言う。「陸上は、自分でやった分だけ返ってくる。悪いのも自分、いいのも自分ですから」。

 おっとりした性格ながら、大男が集う世界舞台で、どう戦ってきたのか。

 村上

 人を喜ばせたい気持ちがあります。ここで投げたら、僕を15年間見てくれている浜元(一馬)先生が喜んでくれるだろうなとか、家族は夜遅いけど、テレビで見てくれているだろうなと思ったりします。そういうことを考えながら、気持ちを高めます。自分には、あんまり興味がないんです。

 ノーコン鉄砲肩と優しい性格。この天然素材は、やり投げで開花した。【佐々木一郎】