柔道界では練習パートナーのことを「受け」と言う。技を受ける役割のことで、日々の練習から試合の直前まで。勝利のイメージを反復する攻め手に沿いながら、受け手としての技術を探し続ける。どうすれば勝ってもらえるのか。仮想敵を模倣し、細かい技術の修練のきっかけを作るにはどうすればいいのか苦心し、時には私生活の悩みにも付き合う。この日、「野獣の相棒」はまさか自分が「受け」に回るとは思っていなかった。だから、二人三脚で歩んできた9年間が涙腺を緩ませた。号泣する姿を見て、「薫先輩」はしてやったりの顔で喜んでいた。ロンドン五輪で柔道界唯一の金メダリストとなった女子57キロ級の松本薫(31)が引退会見を開いた日、帝京大の後輩で誰よりも身近で寄り添ってきた練習相手の池田彩華(27)も一緒に引退した。

「山に修行とか全部についてきてくれた。一番つらい時期の9年間支えてくれた。だから、私から花束を贈らせてもらいました」。自身の引退会見の最後の一幕、松本は「すみません、皆さんの前で」と集まった報道陣に気を使いながら、池田に特大の花束を贈った。その直前に、松本に花束を贈る役目を終えていた池田は戸惑うように壇上でフラッシュを浴びながら思っていた。「やっぱ薫先輩は優しいな」。大粒の涙は止まらなかった。

2人の始まりは池田が帝京大に入学2年目、11年4月のことだった。入れ替わりに卒業した4学年上だが、社会人でも同大が拠点だった松本が全日本体重別に臨むにあたり、それまでのパートナーが引退、もう1人は故障で、池田に白羽の矢が立った。「私で務まるのか不安しかなかった」。できたのは開催地の福岡は九州出身で土地勘があったので、おすすめの飲食店を教えることぐらい。会場では「そんなに緊張しなくてもいいから」とロンドン五輪前の先輩に心配されるほどだった。その時はまさか、こんなに長く濃密な関係が始まるとは思ってもみなかった。

「昔はどうすればいいんだろうと考えて」体が動かなかった。松本の感覚は繊細で「違う」とよくいわれた。驚いたのはその緻密さ。「これでも、あれでもないなあ」と技をかけながら消去法を進め、言われたのは「腹筋に力が入ってないんじゃない」。そんな細かい部位まで意識したことはなかった。ぐっと力を込めると、投げられながらかつてない「フィット感」があった。足払いをかけられる側として脚を前に運ぶ時、コンマ何秒差の違いまで指摘される。期待に応えたい一心で、最初は稽古後の寮で、仲間と受けの復習をする日々もあった。そしていつしか「言われれば瞬時に対応できる」「薫先輩の技を私以上に知っている人はいない」と言い切れるまでになった。大学4年の時に就職先が決まらず。松本が「きなよ」とベネシードに誘って、相棒生活は続いた。柔道界でも異例の長期のパートナー。最中には「運命」と感じることもあった。「今日弟の誕生日なんだよね」「えっ、私もですよ」の会話の先に、5人きょうだいの4番目の2人は年齢を照合し合う。なんと性別の並びは異なるが、一番年上から弟までの各年齢差も合致。思わず仰天したが、その縁に互いにうれしくなった。

2連覇を目指したリオデジャネイロ五輪では銅メダルに終わったが、2人の関係は終わらなかった。それは松本が結婚、妊娠、出産をへても不変だった。なにより、またも縁は深くなった。17年6月に第1子となる長女を迎えた薫先輩、なんとその日は池田の誕生日だった。生きている限り重なる2人の歩みがまた色濃くなった。うれしさもつかの間、さらに感謝の出来事があった。8月には柔道着を着て畳の上に上がっていた松本だったが、それは大会出場を控えた自身の「受け」としてだった。産後の体で試合直前、試合日までしっかりといつもとは逆の役目を果たしてくれた。その優しさに胸を打たれた。「私の試合のことも出産前から考えてくれたみたいで」。東京五輪で再び金メダルに挑もうとする覚悟も目の当たりにしていた。だから、その日の試合を最後に残りの柔道人生はすべて薫先輩にささげることにした。池田にとって17年8月の試合が現役最後になった。

以降は徹底して受けに回り、松本の苦悩の日々をともに過ごした。出産の影響がもろに出たのは腹筋だった。おなかが大きくなり、「腹筋が割かれたような感じになるので、最初は回転運動もできないと言っていました」。腹に力が入らず、もがく。思うようにいかず、さらに子育てで十分な練習時間が取れることはなかった。熱を出したら練習途中でも迎えに行かねばならず、授乳の時間も作らねばならなかった。代わりに子供を預かり、練習を積んでもらうこともあった。昨年の6月には先輩の赤ちゃんの1歳の誕生日と、自身の27歳の誕生日を一緒に祝えたことが何よりの幸せだった。

東京五輪の夢はかなわなかった。昨年11月の講道館杯で1回戦負けした直後に、会場で引退を伝えられた。「不思議とあまり覚えていないんですよ」と区切りの日の記憶はあいまいだが、それはむしろそれが2人の終わりではなかったからかもしれない。松本は引退会見でアイスクリーム店への転身を仰天発表したが、「私も一緒にアイスクリーム屋をやるんです! 一緒に店頭に立ちますよ」と教えてくれた。誘われたわけではなく、ベネシードの事業の一環としてアイスクリーム販売があり、それを希望したら、まさか薫先輩も同じだったという。おすすめが豆乳こがしキャラメル味というのも共通で、いまはディッシャー(アイスクリームをすくう器具)の使い方に互いに悪戦苦闘している。だから、今後も「野獣の相棒」は変わらない。バレンタインデーにはお手製のクッキーや、日常的にアップルパイなどのお菓子作りが得意だったことも身をもって知っているからこそ、どんなアイスクリームのアイデアが飛び出すか、「受け」としてしっかり味わえるのも楽しみで仕方ない。

「幸せですよね、薫先輩みたいな人と一緒にいさせてもらえて。でも、これからも一緒ですから」。2人は柔道だけでなく、人生のパートナーとしてこれからも歩み続ける。

【阿部健吾】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

引退会見後、練習パートナーだった池田彩華さん(左)に、お礼の花束を渡し、涙する横で思いを語る松本(撮影・浅見桂子)
引退会見後、練習パートナーだった池田彩華さん(左)に、お礼の花束を渡し、涙する横で思いを語る松本(撮影・浅見桂子)