フィギュアスケートの元世界女王、浅田真央(26)が12日、都内で引退会見を開いた。
浅田はフィギュアについて「ひと言で言うと、人生かなと思います」と語った。主な一問一答は以下の通り。
-初めてスケート靴を履いた日は覚えている?
私は覚えていないんですけど…5歳だったので。でも、ヘルメットをかぶって、スキーウエアを着て、ひじ当て、ひざ当てを着けた写真が残っているので。
-スケートをやっていて1番、楽しかったことは
やっぱり、フィギュアスケートには幾つも技があると思うんですけど、その技が出来るようになった時は本当に楽しい。2回転が出来て、次に3回転跳びたい…そういう思いが楽しかった。
-つらかったことは
つらかったことは、そんなになくて。やっぱり、この道を選んできたのも自分ですし、自分がやりたいと思って、望んでやってきた道なので、つらいという思いはありません。。
-2度の五輪を振り返って
バンクーバー五輪は19歳だったんですけど、10代で本当に気が強くて、その強い気持ちだけで乗り切った気がしています。ソチ五輪は…やはりショートが残念な結果だったので、気持ちはつらい試合だったんですけど、フリーはああいう形で、最高の演技で終えることが出来た。バンクーバーからソチまでの4年間の思いを、全て4分間に滑り込めたと思っています。 -2度の五輪の経験は?
私の今後の人生においても、すごくいい経験だったり、いい思い出になったかなと思います。。
-世界選手権3回優勝は日本人最多。印象に残っていることは?
1回、世界選手権で金メダルを取った時は、全て五輪の後の世界選手権だったので、五輪の悔しさというものを晴らせた大会だったと思います。最後の世界選手権は、自分の中では最後だと思って臨んだ試合なので、スケート人生を全て、プログラムに込めた試合。最後の世界戦選手権が、1番思い出は強い試合でした。
-現役生活で最も思い出に残ったことを選ぶとしたら
1つというのは難しくて…でもソチのフリーかなぁとは思います。気持ちが、すごい今までの試合以上に、ちょっと落ち込んだり、つらかったりした部分もあったんですけど、あれだけの挽回の演技が出来たということに関して、それが五輪だったことは良かったのかなと思います。
-2人のコーチについて
山田満知子先生は小さいときに指導を受けたんですけど、スケート、挑戦の楽しさを教えてくれました。スケートだけじゃなく、いろいろなことを教えてくれた先生です。佐藤(信夫)コーチは、大人になってから指導を受けたんですけど、自分の意志も強いので、先生と話し合いをする機会も多かったんですけど、自分の意見も聞いてくださって、それを静かに見守ってくれていた先生でした。
-復帰した2年間をどう捉える?
ソチ五輪のシーズンで世界選手権を終えて、自分が選手を終えていたら、今もまだ出来たんじゃないかなというふうに、思っていたんじゃないかと思います。でも自分で望んで復帰して、チャレンジした結果なので。本当に今はやり残したことはないので、そういった意味で、もう1回チャレンジすることができて良かったんじゃないかと思っています。
-今後どんな仕事をする?
まず、本当にもうすぐ夏になったらアイスショー「ザ・アイス」があるので、選手生活を終えて初めて、皆さんの前で滑るので、いい演技を出せるように頑張りたいなと思います。
-フィギュアスケートとは、どう関わる?
5際で始めて、今までスケートにお世話になりました。これから、どんな形であってもフィギュアスケートに恩返しできる活動はしたいと思っています。
-今のフィギュアスケート界について。浅田選手に憧れてトップ選手になった、若い選手にメッセージを
大先輩の方をはじめ、私も引退することになったんですけど、今までスケート界を引っ張って来られたかなと思っています。これからも、やはり若い選手が若いパワーで引っ張って、スケート界を引っ張っていってほしいなと思います。
-フィギュアスケートはどんな存在?
存在…う~ん。どんな存在ですかね? 難しいですけど、ひと言で言うと、やはり人生かなというふうに思います。
-引退を発表して、自分を褒めたい部分は?
私は結構、すぐに飽きてしまう部分が多い。すぐに飽きゃう性格ですけど、スケートは5歳から26歳まで続けてこられたので、長い間、すごいね、続けてきたねぇと言いたい。私の全てがスケート中心の生活だったので、本当に私の人生です。