「オリンピックで金メダルを取れるように頑張りたいです!」。03年3月、浅田が愛知・高針小の卒業式で誓った言葉は、引退会見前後のテレビ番組で何度も放送された。その場にいた浅井大輝(ひろき)さん(26)は「みんな『中学生になったら…』といった目標。スケールが違うな、と思いましたね」と14年前の記憶をひもといた。

 浅井さんは浅田と高針小、高針台中の9年間を共に過ごした。とはいっても「中学になって、浅田は学校に来られない日が多くなった。そこから雲の上の存在」と漏らす。中学3年だった05年には、グランプリファイナルで優勝。しかし、9月生まれのため、06年トリノ五輪に年齢制限(05年6月30日までに15歳)で出場できなかった。6月生まれの浅井さんは母と「誕生日、代わってあげたいね」と話した思い出がある。

 国民的人気者の天真らんまんさは、昔から変わらなかった。小学校高学年の頃、校内でニット帽をかぶっていた浅井さん。背後から近づいてきた浅田は「あちゃ(浅井さんのあだ名)、明日返すから!」とそれをかっさらい、走り去ってしまった。「はあ!?」。翌日、戻ってきたニット帽の中には、ルーズリーフに記された直筆サイン。浅井さんは「普段、スケートの話も、自慢もしない。だから、あのときはさっぱりサインの価値が分からなかったです」と頭をかいた。

 休み時間は鬼ごっこをし、運動会ではクラス代表でリレーに出場。そんな浅田は、旧友にとっても遠い存在になった。連絡先は知らない。しかし、引退会見をテレビで見て「キャラクターはそのままだな」と感じた。「『お疲れさま』のひと言です。人並みの生活ができていなかった浅田だから、落ち着いて、ゆっくりできればいいのかな」。世間に注目され、登校日には同級生のサイン攻め。そんな中学校生活を知る友は愛知からそっと、浅田の歩みをねぎらった。【松本航】