2020年東京五輪の開幕まで500日となった12日、大会組織委員会は競技種目を表すピクトグラムのデザインを発表した。競技ピクトグラムは64年東京五輪で生まれ、その後の大会で標準化。発祥の地として、64年モデルをモチーフに制作した。デザイナーの廣村正彰氏(64)が日刊スポーツのインタビューに応じ、64年の要素を残しつつ、20年版に進化させた誕生秘話を語った。

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1964から2020へ-。今回の東京五輪で前回大会をここまで強く意識した計画はなかった。組織委は64年のピクトグラムを継承した理由について「シンプルで分かりやすい情報伝達のレガシーとなった前回大会を尊敬した」と説明。20年版はそこに各競技、現代の動きに合わせた躍動感を新たに加えた。

最多だった16年リオデジャネイロ五輪の41種類を抜き、今回は史上最多となる33競技50種類がつくられた。追加競技の空手、サーフィン、スケートボード、スポーツクライミングは史上、初めて登場。64年は20種類、12年ロンドン五輪では39種類だった。

競技ピクトグラムは会場周辺の案内板やパンフレット、チケット、国際映像にも使われ大会を象徴するデザインとなる。来月13日には64年にはなかったパラリンピック版22競技23種類を発表する。

17年3月、廣村氏ら約10人のチームは広告大手電通とともに業務委託契約を勝ち取るためのコンペに臨んだ。その時から64年版を継承するアイデアを持っていた。

ただ、同6月からの制作過程では「日本らしさ」や「和」を追及するため候補案を広げて検討。平安時代、江戸時代の絵画などを参考に日本の歴史をさかのぼって議論した。過去大会を見ると04年アテネ大会は古代ギリシャのキクラデス文明の像、08年北京大会が古代中国の甲骨文字「篆書(てんしょ)体など、各国の特徴を全面に出していたからだ。しかし、行きついた「日本らしさ」が機能性、シンプルだった。

64年版と20年版をつなぐ基礎となったのが「陸上」。同じように見える短距離走のスタートダッシュだが角度を35度から45度に変えている。64年版には描かれなかった、お尻や肩の部分を出し、丸みを帯びて筋肉が躍動するイメージを付加した。「競泳」も似ているが、より水をかく躍動感を強調するために20年版は両手を水面から出した。

「バスケットボール」はドリブルからダンクに場面変更した。「50年以上が経過し、バスケ競技の動きも変わった。今ではダンクシーンが一番かっこいいとされる」と時代に適合させた。ダンク場面の写真を数百枚用意し、最も形がきれいなものを基にデザインしたが、意外とピクトグラムにするとうまくいかず、試行錯誤を何度も繰り返した。

広村氏は、64年東京五輪のデザインに深く携わった故・田中一光氏(無印良品のトータルデザインなど)を師匠に持ち、名実ともに64年のDNAを継承した。【三須一紀】

◆廣村正彰(ひろむら・まさあき)1954年(昭29)8月6日、愛知県安城市生まれ。グラフィックデザイナー。77年、田中一光デザイン室に入社。88年に独立し、廣村デザイン事務所を設立。日本化学未来館、横須賀美術館、鉄道博物館、すみだ水族館、そごう・西武などのアートディレクションを手がけてきた。東京都在住。

○…ピクトグラムのお披露目イベントに出席した陸上男子短距離の飯塚翔太(27=ミズノ)は「理想型の飛び出し角度、筋肉も表現されている」とスタートダッシュの体勢が描かれた陸上のピクトグラムを絶賛した。そのデザインと同じ姿勢をリクエストされると「一瞬ですよ」と笑い、壇上でダッシュした。開幕500日前の節目に「しっかり準備していきたい。実感が湧いてきました」と語った。

空手女子形の清水希容(25=ミキハウス)は空手のピクトグラムを「胴着も帯もリアルに再現されている」。迫る大舞台では金メダルの期待を背負う。「つい先日まで1000日前と言っていた気がする。もう半分たってしまったのかと。引き締めて取り組んでいきたい」と話した。空手は24年パリ五輪で追加種目候補から外れたが、諦めていない。「2024年に採用していただけるよう、空手の魅力をたくさんの知ってもらえるように前向きに受け止めています」と語った。