日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕新会長(62)が2日、都内で20年東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長(81)と会談し、日本がボイコットした80年モスクワ五輪の幻のオリンピアンが、東京大会に何らかの形で参加できるよう要望した。森会長によると、山下氏が会長になる以前から内々に相談を受けていた。

ソ連のアフガニスタン侵攻を機に米国や日本はモスクワ五輪への参加を見送った。山下氏も初の五輪代表を決めていた当事者だった。その4年後、84年ロサンゼルス五輪の柔道無差別級で金メダルを獲得した山下氏だが、これまでモスクワ五輪に出られなかった仲間から、20年東京大会に何らかの形で関われないかと相談を受けていた。

山下氏 当初は、私自身が過去を振り返ることが好きじゃないので「終わったことは仕方ないじゃないか」という思いでいた。でもよく考えたら、あの時出られなかった選手で一番恵まれているのが私じゃないかなと思った。重い傷を癒やせない選手たちのために、力になれればと。私を基準に考えちゃいけないんじゃないかと思った。

内々に相談を受けていた森会長は既に、組織委内で検討を始めている。対象者はモスクワ以前、以降も五輪に出場できなかった元選手たち。関係者によると、聖火ランナーを含め、さまざまな案が挙がっている。JOCを中心に、元代表選手に対し、どのような参加方法が良いかアンケートを取り、組織委が精査する。【三須一紀】

◆モスクワ五輪代表 全18競技で178人(最終選考を行わなかった馬術の候補選手10人含む)。そのうち次のロサンゼルス五輪に出場したのは50人だけ。半数以上が1度も五輪に出場できなかった。金メダル最有力と言われた世界選手権4度優勝の柔道男子78キロ級の藤猪省三は翌年引退。陸上長距離には喜多秀喜や伊藤国光らもいた。79~82年NHK杯4連覇の女子体操の笹田(旧姓加納)弥生さんもその1人で、今年5月に急逝するまで「幻の代表で東京五輪の力になりたい」と、当時の代表選手にアンケートを実施するなど、何らかの形で20年東京大会に参加する道を模索していた。