男子グレコローマンスタイルが行われ、77キロ級の屋比久翔平(26=ALSOK)が準優勝を果たし、2位までの五輪出場枠を獲得した。日本協会の選考基準を満たし、初の五輪代表に決まった。父保さん(59)が届かなかった夢を引き継ぎ、沖縄県初の五輪レスラーになった。67キロ級の高橋昭五、87キロ級の角雅人、97キロ級の奈良勇太は初戦敗退。リーグ戦で敗れた130キロ級の園田新も含め、5月の世界最終予選(ソフィア)に回る。

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生後100日から「日の丸」を着ていた。屋比久家には、赤ちゃんの翔平が胸に日本国旗が縫い付けられた赤い特製シングレット姿の写真がある。物心がつくずっと前。もう、五輪をめぐる父子の闘いは始まっていた。「オヤジの夢を1つ果たせたんじゃないかな」。息子はカザフスタンで誇り、沖縄から試合を見守った父は、「二人三脚でずっとやってきた。うれしい」と感無量だった。

89、91年全日本王者の父は、2度の五輪挑戦があった。88年ソウル大会で届かず、92年バルセロナ大会は国内予選の試合中に左足の大けがを負い、救急車に運ばれて夢尽きた。引退し、故郷沖縄で指導者になり、95年に生まれた翔平に夢の続きを託した。

父の得意技は相手の脇に手を差して押す「差し押し」。伝承の技を、息子はこの日も我慢強く繰り出した。勝てば五輪が決まる準決勝では、組み手の進化も見せて6-2で勝利。決勝では敗れたが「コロナ禍で作り上げてきたものがあった」と手応えを得た。

昨年8月には沖縄で長男紫琉くんが生まれた。東京が拠点で、コロナ状況から初対面は半年後だった。会いたい気持ちをこらえて鍛え、父の夢を、父となって実現させた。そして…。「これからは自分の夢に向けて。五輪までに1つ2つレベルを上げて金メダルを取りにいく」。【阿部健吾】