記録ずくめのシンデレラ・ストーリーだ。世界150位のエマ・ラドゥカヌ(18=英国)が、68年オープン化(プロ解禁)以来、4大大会初の予選勝者の女王となった。

全米史上初のノーシード同士の決勝で、同73位のフェルナンデス(カナダ)を6-4、6-3で下し、オープン化以降、68年ウェード以来、英国女子2人目の全米女王となった。4大大会本戦2度目での優勝は最速。予選から10試合で、1セットも失わなかった。

大会が始まった当初、誰がこんな結末を予想しただろうか。3度目のマッチポイント。ラドゥカヌはサービスエースをたたき込むと、その場に崩れ落ち、両手で顔を覆った。「ニューヨークの皆さん、母国のように応援してくれた。ありがとう」。

第1セット4オールから、2ゲームを連取して第1セットを先取した。第2セットも5-2とリード。しかし、5-3から相手にブレークポイントを握られるピンチ。そのポイントで、左膝をコートにこすり、血が流れた。治療時間を取ったことで、流れを引き戻し、優勝へとひた走った。

99年に17歳のS・ウィリアムズ(米国)と18歳のヒンギス(スイス)が対戦して以来のティーンエージャー決勝だった。優勝したラドゥカヌは「女子テニスの未来は明るいわ。どんどん若い選手が出てくる」と、はち切れんばかりの初々しさで胸を張った。

決勝のフェルナンデスとは、18年ウィンブルドンのジュニア部門2回戦で対戦し、ラドゥカヌが勝っていた。それから3年。19年には、ラドゥカヌは、ジュニア大会で、日本の川口夏実、佐藤久真莉のジュニア選手に負けている。それからわずか2年で、全米女王に駆け上がった。

父はルーマニア、母は中国の出身で、カナダのモントリオールで生まれた。ラドゥカヌが2歳の時に英国に家族で移住し、英国の登録でツアーを転戦。多様性の象徴でもある。キュートな笑顔が輝く新世代のヒロインが女子テニス界に誕生だ。

◆全米オープンテニスはWOWOWで全日生放送、同時配信される。