フィギュアスケート男子の冬季オリンピック(五輪)2連覇王者、羽生結弦さん(27)が19日にプロ転向を正式表明し、競技会の第一線から退く決断を下した。「羽生結弦の軌跡」とし、フィギュアスケート史に金字塔を打ち立ててきた羽生さんの挑戦の歴史を連載で振り返る。

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羽生結弦、最後の競技会出場は北京五輪となった。過去2連覇の王者。大会最注目は22年2月10日、午後0時15分だった。男子フリーの演技開始から20秒後、クワッドアクセル(4回転半ジャンプ=4A)を踏み切った。助走を長くし、未体験の速度で。回転不足。転びもした。が、右足から降りた。ずっと両足だっただけに「一番(成功に)近かった」。幾千と重ねてきた挑戦の中で「今できる羽生結弦のベスト」が出た。世界初の4A認定。舞台はやはり相愛の五輪だった。

3日前、北京で初練習した。「五輪は特別。そりゃ緊張しますよ」と言葉数が多くなかった。最初に「何分?」と取材の終了時間を気にする姿も初めて見た。翌日のショートプログラム(SP)は不運に見舞われた。氷上の穴にはまり「氷に嫌われちゃったかな」。

8年前も4年前も首位発進のSPで8位に、勝負の鬼に戻る。翌9日の練習。氷に立った瞬間、全力滑走した。穏やかだった前日までと違い、目つきは鋭く、表情も険しい。「クッ」と上半身を締める気合も大きく漏れた。4回転半は最後の5本目に激しく転倒し、昨秋負傷した右足首をまた痛めた。「痛ってー」。顔をゆがめたが、最後の1人になるまで調整を継続した。

フリーでは生きざまを示した。「挑戦し切った、自分のプライドを詰め込んだ五輪だったと思います」。3度目の五輪は4位だった。

頂点を知る男に順位は関係なかった。14日の記者会見。「4回転半への挑戦は今後どうするのか」と質問した。右足首捻挫で絶対安静と明かした後、答えた。

「けがで追い込まれ、SPも悔しくて。でも、いろんな思いが渦巻いた結果、アドレナリンが出て最高のアクセルができた。ジャンプとしての最高点には僕の中でたどり着けた。満足した4回転半になりました」

18日は歴代の9曲を舞った。北京の個人練習最終日に「今までのスケート人生の中で落とし物してきたものを全部やろう。今ならできる」。若き自身が達成できなかった課題をクリアしていく。「どうだっけな~」と思い出しながら。最後は「SEIMEI」を、あのフィニッシュで締めた。

取材エリアで話しかけると立ち止まった。この時、既に競技者からの卒業を決めていたのかもしれない。

「心のおもむくままにスケートしました。自己満足かもしれないですけど、自分の中でやり切れたなと」

「平昌の最後のステップとか、一生、忘れないですしね」「僕自身へのご褒美でもあり。今までの道のりを『ありがとうございました』と思って滑りました」

「練習公開しますか!? くっそ自由な。取材とか関係なく、ただひたすら仕事も忘れて。飲みながらでも何でもいいんで、見てもらえる時間がいつかきたら」

羽生=五輪=成功の輝かしいイメージが、最後の北京大会は喜怒哀楽があふれた。報われない努力だったとしても「報われなかった今は今で幸せだな」。アマチュア競技の世界で有形無形すべての栄光を手にし、必然のプロ転向。今月19日の決意表明会見で言った。

「競技会の緊張感が恋しくなることは絶対ない、と言い切れる。どうかこれからも期待してやってください。見てやってください。さらにうまくなるし、さらに見る価値があるなと思ってもらえるよう努力する。もっともっと難しいことに挑戦し、闘い続けていく」

継ぎ目なく羽生の軌跡は続く。(敬称略)【20年~担当=木下淳】(おわり)

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