東京五輪代表の池江璃花子(22)が、最後のインカレを終えた。最終日は個人種目の女子100メートル自由形を54秒26で制し、初日の50メートル自由形との2冠を達成。さらに800メートルリレーでは第3泳者としてチームの苦境を打開し、銅メダル獲得に貢献した。白血病で入院していた1年時には、一時退院して応援にかけつけた思い出の大会。最終学年では、女子の主将としてチームをしっかりまとめ上げた。

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第3泳者としてインカレ最後の出番を終えた。池江は水中から上がると、アンカーで同学年の小堀に懸命に声援を送った。3位でのフィニッシュを見届けると、仲間たちと歓喜の抱擁を交わした。29日の400メートルリレーは4位、30日のメドレーリレーは5位。それだけに「メダルを取れると思っていなかった」と喜びをかみしめた。前日までの悔しさが晴れた。

水泳界の名門・日大水泳部の仲間と戦うのはこれが最後。「すごく寂しい気持ちと、良かったなという気持ち」が交錯し、涙があふれた。

最終日は1日2種目、予選も含めると計4レースのハードスケジュール。疲労が蓄積する中で、力を振り絞った。まずは女子100メートル自由形で、池本(中大)を0秒09振り切って優勝。初日の50メートル自由形に続く個人種目2冠を手にした。「日大として出る最後の個人種目。どうしても優勝したかった」。

800メートルリレーでは第3泳者として5番手で引き継ぐと、すぐさま4番手に浮上。3位近大とほぼ同じタイミングでアンカーにつなぎ、メダルへの足がかりをつくった。

右足首を痛めた影響で、調整は万全ではなかった。大会出場を迷ったこともあったと明かしたうえで、「最後にインカレに出てよかったなと思えた」。闘病生活を送っていた1年時には、一時退院して会場から声援を送った。そこから復活を果たし、東京五輪にも出場。さらには女子主将として名門チームをけん引した。最後のインカレを終えて、「後輩たちに背中を見せられた」。その後ろ姿に、充実感が漂った。【奥岡幹浩】

◆池江の大学4年間

19年4月 日大スポーツ科学部入学。白血病治療のため入学式は欠席。

同9月 闘病中でインカレ不出場。一時退院を利用し3日連続で会場に駆けつけて応援。「今年は出られずに本当に悔しかったので必ずまたリベンジします」とコメント。白血病公表後初の公の場だった。

20年8月 東京都特別水泳大会で594日ぶりにレース復帰。「すごく緊張した。第2の自分の水泳人生のスタート。自分のことだけど、感動した」。

同10月 白血病からの復帰2戦目で、インカレに初出場し、50メートル自由形で決勝25秒62で4位。「今の状態では上出来です。悔しいですが、この気持ちが活力になっていく」。翌日には400メートルリレー予選に出場。

21年4月 東京五輪の代表選考を兼ねた日本選手権で4冠を達成。

同7月 東京五輪出場。24日は400メートルリレー予選9位で「こんなにキラキラした会場は見たことない」。29日は混合400メートルメドレーリレー予選9位。30日は400メートルメドレーリレー予選6位(バタフライ)。8月1日は同決勝8位で「決勝の舞台で泳ぐことができてすごく幸せ。この数年は本当につらかったし、人生のどん底に突き落とされて、この舞台に戻れたことは誇りを持っていける」。

同10月 インカレで800メートルリレー初優勝など女子総合成績で2位に。「これが毎年できていたらすごく楽しかっただろうな」。次期女子主将に就任。

【最終上位総合成績】▽男子(1)日大475.5点(2)明大394点(3)早大322点(4)近大318.5点(5)中大264点(6)中京大205.5点(7)日体大111点(8)慶大104点▽女子(1)中京大391点(2)神奈川大302点(3)東洋大269点(4)早大225点(5)近大222点(6)日大208点(7)明大183点(8)新潟医福大147.5点=以上次年度シード校