2023年度、学生アメリカンフットボール界を代表する名門が姿を消した。
日本大学(日大)フェニックス。
1940年(昭15)創部で、学生日本一を決める甲子園ボウルでは関東最多21度の優勝を誇る。社会人代表と争った日本選手権ライスボウルも4度の戴冠。オールドファンも多い「不死鳥」が83年の歴史に幕を閉じた。
25日、名門最後の最上級生として、しかし表舞台には立てず激動のシーズンを終えた4年生の卒部式が、都内ホテルで行われた。大学による卒業式の後、廃止された組織のため公式ではない集まりとして、部の保護者会「櫻親会」が主催した。
「卒部生あいさつ」に立った主将が、式後、学生として最後の取材に応じた。
「あのような事件はあって申し訳なかったんですけど(夏までの3年半)みんなで練習して、しんどいこと、楽しいこと、いろいろあって。仲間とやってきた時間は確かにあったので。それをどう、これからの社会人に生かしていくか、どうすれば社会に貢献できるか考えていこう、という話を(壇上から)させていただきました」
日大アメフト部を巡っては、昨年8月5日に覚醒剤取締法違反及び大麻取締法違反の疑いで3年生部員が警視庁に逮捕された。大学による無期限活動停止、関東学生連盟による今季出場停止などの処分を経て、同11月28日の学内会議で廃部の方針が固まった。
翌12月15日の臨時理事会で廃部が正式決定。年が明けた1月25日に、昨年12月15日付での部の廃止(廃部)手続きが完了し、関東学連からの退社(退会)も2月に確定した。さらには24年度の公式戦復帰を断念。関東学連への再(新規)加盟は、翌25年度以降を目指すことが発表されている。
一連の違法薬物事件では元部員ら計11人が逮捕・書類送検された。最初に逮捕された1人は懲役1年4カ月、執行猶予3年(求刑懲役1年6カ月)の有罪判決が確定。2人が略式起訴され、書類送検された8人が東京地検により不起訴処分となった。
もちろん、これには含まれなかった主将だが、部内に薬物がまん延した責任に苦悩しながら、最後まで部に残った。寮から閉め出され、活動の場を失い、去った仲間もいた中、部員123人(最大)のために、歴代OBのために、名門の存続へ最後まであらがった。
結果、凋落(ちょうらく)の運命をたどったフェニックスの最終キャプテンとして、最悪の結末を突きつけられている。
昨年12月15日。廃部が決まった臨時理事会に出席した。まだ存廃が「継続審議」となっていた段階で、最後の陳情機会。3年生の次期主将予定者とともに、部の存続を求めた。
「部員全員がいったん退部し、薬物検査を受けた上で再入部を認める」など、事件後にチームで何度も話し合い、幹部で練ってきた再建案を、林真理子理事長はじめ、居並ぶ重鎮たちに示して廃部方針の撤回を訴えた。
直後、大学側は「それらを踏まえて多様な意見が交わされた結果、廃止(廃部)とすることに決定いたしました」と発表した。
当時の様子を、主将が初めて明かす。
「臨時理事会で、まずは謝罪をさせていただきました。次に、自分たちで考えた廃部撤回の案をお示しして。撤回をお願いするに当たって、部として潔白をどう証明するか、自分たちで話し合って、まとめた考えを説明させていただきました」
全員検査、誓約書の提出など、後に再建案の一部として採用された部分もある改善策を持参した。
「もちろん自分の本心を言いましたし、部員たちの思いをくみ取って、代表して、言いたいことは言えたかなと思っています」
その願いは、届かなかった。日大は部の廃止について「断腸の思いで下した判断」と説明。臨時理事会の出席者によると、最後は決を採り「賛成11-反対9」の僅差で消滅となった。
「結果はニュースで知りました。その時は率直に、残念な気持ちが、すごく強かったです。何とか廃部だけは避けたい、撤回していただきたい。そのためにチームとして潔白を証明する方法を、ものすごく話し合ってきました。それを何とか伝えなければ、自分が代表して届けないといけないと思ってはいたんですが、結果は、うまくいかなくて…。本当に、後輩に申し訳ないという気持ちが大きいですね、今も。日頃から応援してくださっている、今日の卒部式を開いてくれた櫻親会の方々、もちろんOBの方々、指導してくださった監督やコーチの方々だったり。後輩にも、同期にも。チームを代表して廃部撤回の意思を伝えられるのが自分だったので、お願いした結果がダメだったことに対して、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。自分なりに全力で…とは言ってはいけないんですが」
振り返れば、高校までバスケットボール部に所属していた。両親から、大学でも続けてほしいと応援されていた。しかし、友人が付属校のアメフト部にいた縁でこの競技を知って、憧れた。直感を信じ、未経験ながら強豪の門をたたいた。
日大が「悪質タックル」問題に揺れた5年前。4年生は「新生不死鳥」の1期生として20年の春に入学した。
「あのような騒動があった後でも、憧れて入部した選手が多い代でした。自分も『フェニックスに入る』と覚悟を持って決めましたし、最後のシーズン。親への恩返しを込めて、学生日本一を目指してきました。確かに親は(バスケ継続を)望んでいて、でも最後は尊重してくれて。廃部の時も、もちろん『残念だったね…』と声をかけてくれましたけど、自分の中では、決してマイナスだけではないんです。4年生の最後にこのような結果にはなってしまったんですけど、確実に3年半は、自分たちの代はフィールドでプレーできましたし、何より先輩たち何百人、後輩たち何百人と関わって得たものが、すごくあったと思っています」
言葉通り1年時、新体制で再起したチームは甲子園ボウルに舞い戻った。一方で2、3年時は関東TOP8の7位に沈んだ。迎えた最終学年の23年4月22日。因縁の関西学院大との絆を取り戻し「悪質タックル問題」以来、交流戦で5年ぶりに再戦した。
結果は関学大に14-10で敗れたが、神戸・王子スタジアムには笑顔の両軍があった。日大にとっては暗黒の日々を乗り越えた瞬間。当時もキャプテンとして「楽しかったです」と報道陣に答え、春の一戦にもかかわらず満員の観客で埋まった雰囲気に感謝し、こう語っていた。
「一番大きな感情としては感謝しかない。今回の実現にしても、多くの人の尽力があったと思う。とにかくもう1度、甲子園に戻りたい。あの地で戦うのは赤(日大)と青(関学大)。その期待に応えないといけない」
ところが、開幕まで1カ月を切った昨年8月5日、大学側から無期限活動停止処分を受けた。全部員の潔白を証明する術がないまま11月には関東学連から今季出場停止の処分が出て、聖地で再戦どころか、降格した。
今季の日大は強かった。甲子園ボウルで法政大を61-21で粉砕し、史上最多の6連覇を達成した関学大とも、春季ながら、わずか4点差だった。関東を制した法大に対しては、同じく春季の最終戦で当たって46-14で圧勝していた。甲子園ボウル東日本代表の最有力候補と目されていた。
暗転、晴れ舞台はおろか光の当たる場所に出ることができないまま、卒業を迎えた。ただ、主将は繰り返す。「マイナスだけではなかった」と。
「フットボール日本一を目指して練習していましたけど、一番は、うまくなることではなくて、やはり社会人になる前に人間性を磨く場だと思っていたので。その意味で3年半は自分にとってすごく大きな財産になりましたし、得た仲間も財産ですし、自分自身、人として、とても成長できたと思っています」
自身も含めて4年生は全員、就職が決まり、この春から新社会人となる。
「やはり日本大学のフットボール部と言えば、あのようなことがあったので、これからもそれ前提の話をされると思うんですけど、自分自身としては後ろめたい気持ちはなくて。この日本大学、アメリカンフットボールをフェニックスでやってきたんだぞ、やり切ったぞ、という誇りを持って社会人になります。何か1つでも自分の仕事が社会に貢献できるように頑張りたいなと思っています」
その社会人では、クラブチームでプレーを続けるつもりだ。やめない決心をした。
「社会人でも続けたいと思ったのは、まず自分自身が大学からアメリカンフットボールを始めたので、まだ正直ちょっと未練が残っているというか。そして、まだアメフトから学ぶことがあると思うので、ここではやめず、まだまだ向上心持って、やっていきたいなという気持ちがあったからです」
もちろん、後輩たちのことが頭から離れることはない。新部の今後は、いまだ手探り状態。大学本部は、薬物事件に関与していないと認められた元部員および今春の新入部員を、新年度4月1日に設立予定の競技スポーツセンター「預かり(所属)」とし、同日を目標に、グラウンドやトレーニング場など練習ができる環境を整える、とはしている。
後継組織の発足に当たって「安全面などを考慮し、配置する」とした監督代行者(責任者)には、関係者によると、複数回の面談と学内会議を経てOBの須永恭通氏(55)が就く。名QBとして88~90年度(2~4年時)に日大を甲子園ボウルとライスボウルの3連覇に導いたレジェンドだ。
この後継チームは、関東学連への新規加盟が認められれば25年度にも3部から再出発。再び甲子園ボウルを目指せる最上位リーグ復帰までは、最短で5季を要する。前途は多難だが、この4月から須永氏の下で再始動できる見通しが立った後進へ、心からエールを送る。
「大学側の判断を受け止めて、もう2度と起こらないように。ある意味、潔白のチームとして再スタートするための準備期間をいただいたのかな、と自分自身は捉えています。後輩のみんなには本当に申し訳ない気持ちなんですけど、チームとして、もう1度しっかり話し合ってほしいなと思います。きれいな、クリーンな状態でチームを再開させるべきで、まずは個人が自分自身を律する。次に、隣にいる仲間を正す。全員がベクトルを合わせて動けば、必ず意志の強い集団になれると信じています」
「まずは練習の再開に向けて焦らずに…と言ったら後輩には失礼になってしまうかもしれないんですが、再開に向けて1日1日を無駄にすることなく、どこに向かって厳しい練習をしているのか再認識してもらえれば。そして熱量。上級生だけが、試合に出られる人だけが熱量を持って取り組むのではなく、試合に出る出ないに関係なく、全員が同じ熱量を持ってベクトルを合わせていくことが、いいチームにつながる。日本一につながる。そう今日は伝えさせてもらいました」
最後に、穏やかな表情でメッセージを紡いだ。
「でも一番は、やっぱり後輩たちがプレーをかなえる姿を見たい。それが素直な気持ちですね。いつかまた後輩たちが輝いている姿を見たいなと思います」
廃部に至った過程では、識者や世論の間でも意見が二分された。理事会投票も先述の通り11対9と割れている。学生擁護の声も根強かったが、結果、連帯責任で部が消滅するという厳罰を受けた。
なおかつ、終わりも見えない。これからも社会から厳しい視線が注がれるだろう。無関係の下級生が「新たな受け皿」と約束された創部に期待しただけでも、批判される。一連の対応で上層部が醜態をさらし続けた大学のイメージも、当面は下げ止まらないだろう。
「一筋縄ではいかないと思います」。そう痛感しながら、名門フェニックス最後の主将は信じている。再発防止と再建の先に、いつか許される時が、不死鳥が復活する日が、訪れることを。騒動の渦中、表に出ることができなかった学生の率直な思いだ。【木下淳】


