ソフトバンクから移籍し支配下登録、開幕1軍を目指している阪神育成の渡辺雄大投手(30)の原点は独立リーグのBC新潟でプレーした4年間にある。オフシーズンにはアルバイトに熱心に励みながら、ジムにも通い鍛えた。17年育成ドラフト6位でソフトバンクから指名され、26歳でつかんだNPBの道。苦労人「なべじい」の当時の様子を知るBC新潟の辻和宏取締役総合営業部部長兼編成部部長(38)が語った。【取材、構成=石橋隆雄】
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今から6年前、16年12月の日刊スポーツ新潟版に、ホームセンター店員の制服を着て木材を運ぶ渡辺の写真が掲載されている。記事には「アルバイトはトレーニングの一環」「お客様を喜ばせる意味では野球と同じ」「野球で稼ぐ難しさを実感しなければいけない」と独立リーガーたちの前向きなコメントが残っている。
BC新潟の選手たちの中から数人が、ユニホームの胸スポンサーでもあるホームセンター「コメリ」(本社・新潟市)でオフにアルバイトをする。選手としての給与はシーズン中の6カ月で1カ月平均15万円ほど。オフには週5日、1日8時間以上働く。渡辺も1年目の14年オフから資材などを扱う「コメリパワー」で働いた。
辻氏は「渡辺は今では『なべじい』と呼ばれていますが、当時は大卒1年目で若かったので、店舗の目上の方たちからもかわいがられていました。自分から率先して何でも動く。積極的にシフトも入っていました」と話す。木材やブロックなど重いものをトラックに積み込んだり、灯油を入れたりした。17年育成ドラフトでソフトバンクに指名された後も10月末まで働いた。力仕事だけでなく4年間でレジ打ちなどの客への対応や商品の陳列もした。渡辺が「お前が抜けると人手が足りなくなると言われましたよ」と、ソフトバンク時代に話していたように、オフシーズンは「コメリパワー」に欠かせない人材となっていたようだ。
アルバイトで多忙な中でも、渡辺はジムに通い鍛えた。努力と自己投資が実を結び、ひと冬越すたびに成長した体で新シーズンを迎えた。BC新潟入団時には130キロほどだった直球は最速143キロ、現在も左殺しの武器であるスライダーの曲がり幅も年を重ね大きくなった。
在籍した4年間で元ヤクルト内藤尚行氏(53)、元近鉄赤堀元之氏(51)、元ヤクルト加藤博人氏(52)と3人の監督から指導を受けた。どの監督も渡辺ならNPBへ届くと思い、指導。1年目、2年目は先発で完投も記録。3年目を終えた16年オフには12月中旬でアルバイトを終了し、オーストラリアのウインターリーグにも参加した。身長185センチの長身を折り曲げ、横手から投げる変則投法で、パワーのある外国人打者に立ち向かった。17年にはリリーフとして46試合に登板し、防御率1・29で最優秀防御率を獲得。その年の育成ドラフト6位でソフトバンクに指名され26歳のオールドルーキーとなった。
現在、阪神でも「よし!」、「よっしゃ!」と叫びながら投げる渡辺だが、当時は「オギャー!」「グワーッ!」と相手を威嚇しているような叫び声だった。普段は温厚な渡辺だが、マウンドに登れば喜怒哀楽を激しく表に出していた。元NPB出身の指導者たちは、冷静に投げること、叫んでも相手に威嚇されたと誤解されないようにと教え込み、現在の自分を鼓舞するためにほえるスタイルとなった。
高校、大学と悔しさの残る野球人生を歩んできた。中越高では長身左腕として広島などのスカウトが視察に訪れる素材だったが、甲子園には、あと1歩だった。09年の3年夏はエースとして新潟大会決勝まで駒を進めた。決勝の相手は日本文理。その夏の甲子園決勝で中京大中京相手に9回5点を奪い1点差まで迫る伝説の試合を演じ県勢初の準優勝した強豪。その強力打線に渡辺は初回1死しか奪えずKOされた。
青学大では2年の時にスリークオーターからサイドスローに転向したが、リーグ戦に登板できなかった。辻氏は「本人も悔しさがあった。うちは地元の選手を積極的に獲得していることもあるが、本人の意思での挑戦ですね」と、話す。新潟・三条市出身の渡辺は、地元の独立リーグからNPB入りへの道を選び、その夢を実現した。プロ3年目で支配下をつかむも昨オフ戦力外に。30歳で再び育成契約となったが、甲子園を本拠地とする阪神で、苦労人が遅咲きの花を咲かせようとしている。
◆渡辺雄大(わたなべ・ゆうた)1991年(平3)9月19日生まれ、新潟県出身。中越-青学大-BC・新潟を経て17年育成ドラフト6位でソフトバンク入団。今季阪神に移籍した。通算9試合、0勝0敗0セーブ1ホールド、防御率3・18。左投げ左打ち。今季推定年俸450万円。



